池袋ぶらり歴史散歩-1 巣鴨プリズン跡
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
JR池袋駅東口からサンシャイン方面の有楽町線東池袋駅にかけての小1時間ほどの池袋ぶらり散歩をしてみました。そのうちの巣鴨プリズン跡の編です。
巣鴨プリズン跡(平和祈念慰霊碑)
まずは有楽町線東池袋駅からスタートして、メインの目的の巣鴨プリズン跡を目指します。
巣鴨プリズン跡は1978年(昭和53年)に当時は日本一高い高層ビルだったサンシャイン60を中心としたサンシャインシティーとして再開発され姿を消し、その一角の東池袋中央公園に平和祈念慰霊碑が建てられています。元々は巣鴨拘置所として存在していましたが、太平洋戦争後GHQ接収時は「巣鴨プリズン」と称され、東條英機など極東国際軍事裁判の戦争犯罪者(いわゆるA級戦犯)が、判決後の1948年(昭和23年)12月23日に死刑執行されたところです。
サンシャインシティーです。右側にサンシャイン60、左側にプリンスホテルの高層ビルが建っています。
Pic.サンシャインシティー
因みに、この辺はアニメオタクの聖地になっています。サンシャインシティーでのアニメ関連のイベントがよく開催されています。その昔に巣鴨プリズンがあったことなど忘れ去られています。
Pic.アニメのショップ
サンシャインシティーの端の一角に東池袋中央公園があります。
Pic.東池袋中央公園
東池袋中央公園の入り口左に生垣に囲まれた一角があり、ここに巣鴨プリズン跡(平和祈念慰霊碑)があります。公園からは見えない位置に、あたかも誰にも見られたくないように唐突に記念碑が建てられています。公園の案内板にも「碑」としか表示がありません。
Pic.東池袋中央公園の案内板
ようやく巣鴨プリズン跡(平和祈念慰霊碑)に辿り着きました。公園からは見えない位置に、あたかも誰にも見られたくないように唐突に記念碑が建てられています。表の碑文には「永久平和を願って」としかありませんので、これだけでは意味不明です。
Pic.巣鴨プリズン跡(平和祈念慰霊碑)
Pic.巣鴨プリズン跡(平和祈念慰霊碑)
裏面の碑文はほとんど判別できません。微かに「極東軍事裁判所」「戦争犯罪」…が読み取れます。
Pic.巣鴨プリズン跡(平和祈念慰霊碑)
後日、碑文を調べてみました。どうやら私設の碑のようです。
第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。昭和五十五年六月
因みに東京レトロ街歩きガイド&マップでは、エリア別Ar-18護国寺から雑司ヶ谷、池袋を歩くに収録されています。
巣鴨プリズンの排水口跡
サンシャインシティーの後ろ側の広大な敷地にはかつて造幣局東京支局がありました。この一帯も巣鴨プリズンの敷地でした。
一帯の再開発計画が進み、この造幣局が大宮に移転し、跡地に仮設の保健所と防災公園が完成しています。「としまみどりの防災公園、愛称イケ・サンパーク」は日常時は憩い、スポーツ、賑わいの創出等に、非常時は避難場所やヘリポート、災害用物資の集積所として活用されます。
造幣局の取り壊し工事時中の貴重な?画像です。
Pic.造幣局の取り壊し工事
完成した「としまみどりの防災公園、愛称イケ・サンパーク」の全景です。
Pic.イケ・サンパーク
この公園の片隅に巣鴨プリズンの排水口に使われていたアーチ状の石材が記念碑として展示されています。
Pic.巣鴨プリズンの排水口跡の碑
Pic.巣鴨プリズンの排水口拡大
近くの擁壁に残っていた排水口の元の姿が解説板に残っていました。
Pic.擁壁に残っていた排水口の元の姿
巣鴨プリズン跡(平和祈念慰霊碑)の石碑の「見せたくない碑」とは違い、この排水口跡の碑は隠すこともなく、おおらかに歴史を伝えているところに設置された時代の違いを感じます。東池袋はイケ・サンパークを含めて再開発が進み高層マンションが立ち並んで、池袋らしからぬ光景になってきています。
そんな変化を代表するようなIKEBUS(イケバス)が、南池袋や東池袋の主なポイントを周回していました。
Pic.池袋を周回しているIKEBUS(イケバス)