日本橋ぶらり歴史散歩-2 (続き)
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
日本橋ぶらり歴史散歩の続きです。改めて訪れた場所とマップを載せます。
訪れた場所は…
- (日本橋)
- (日本橋由来の碑)
- (日本国道路元標)
- (日本橋魚河岸跡)
- (名水白木屋の井戸)
- 渋沢栄一像
- 常盤橋門跡
- 日本銀行本店
- 日本橋三越本店
- 三井本館
- 日本橋高島屋
このページは渋沢栄一像以降の部分です。それ以前は関連ブログの日本橋ぶらり歴史散歩-1をご覧ください。
渋沢栄一像
近代日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一の像です。1993年(昭和8年)に銅像が建立されましたが、第二次世界大戦中の金属供出で撤去されてしまいました。再び銅像建立の聲が盛り上がり、1955年(昭和30年)に一朝倉文夫の製作により再建されました。
Pic.渋沢栄一像
Pic.渋沢栄一像
常磐橋門跡
江戸城枡形門の一つで、1629年(寛永6年)に築かれました。古くは浅草口・大手口とも呼ばれ奥州街道に通じる重要な場所でした。1873年(明治6年)に門は撤去されました。残った枡形石垣の一部と常磐橋は関東大震災によって被害を受けましたが復旧整備のうえ東京市の公園として公開されました。現在もこの公園は整備工事中です。
実は常磐橋は2つあり、江戸城常磐橋門に通じる歩行者専用の石橋と関東大震災後の復興計画で建設された道路橋の常盤橋です。この2つの橋は共に2連アーチの構造を持ち70メートルほど離れて架けられています。同じ「ときわばし」でも江戸の石橋は「常磐橋」、大正の道路橋は「常盤橋」というのが正しいとか。諸説あるようですが…。
Pic.常盤橋門跡の石垣
Pic.震災後の復興計画で建設された常盤橋
Pic.道路橋から江戸城常盤橋門に通じる石橋を望む
日本銀行本店
竣工年:1896年(明治29年) 設計:辰野金吾。ネオ・バロック様式のベルギー国立銀行を参考に設計。日本人建築家が手掛けた最初の西洋近代建築の国家的プロジェクトでした。明治の近代建築を代表するビルです。上空から見ると「円」の形になっています。
Pic.日本銀行本店
Pic.日本銀行本店
Pic.日本銀行本店
日本橋三越本店
竣工年:1927年(昭和2年) 設計:横河民輔。ルネッサンス式建築の威容を誇り、当時は「国会議事堂」「丸ビル」に次ぐ大建築物でした。ライオン像はロンドンのトラファルガー広場にある像がモデル。元々は1673年(延宝元年)「現銀掛値無し」など画期的な商法を次々と打ち出した呉服店の「越後屋」。「三越」は三井家と創業時の越後屋からとったものです。デパートとしてではなく、近代建築として改めて見てみましょう。
Pic.日本橋三越本店
Pic.日本橋三越本店 正面
Pic.日本橋三越本店 ライオン像
三井本館
竣工年:1929年(昭和4年)設計:米国設計事務所。新古典主義様式の建物外壁は花崗岩で仕上げられ、ファサードは列柱を整然と並べ、当初から関東大震災の2倍の地震にも耐えることができるように作られました。1929年(昭和4年)に越後屋跡地に三井財閥の本拠として建てられました。團琢磨暗殺(血盟団事件)の現場でもあります。
Pic.三井本館
日本橋高島屋
竣工年:1933年(昭和8年) 設計:高橋貞太郎ほか。竣工当時の名称は「日本生命館」でした。外観は西洋式のルネサンス風に和風も取り入れた様式で、全館冷暖房完備というのも当時としては画期的でした。
Pic.日本橋高島屋
Pic.日本橋高島屋 正面
ここに挙げた建築は超有名でメジャーなものですが、日本橋エリアにはこの他にも近代レトロ建築として見逃せない大小の建物がたくさん現存しています。機会を改めてブログにて紹介していきたいと思います。