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江戸東京ブログ

青山霊園外人墓地

青山霊園に眠る有名人-2 (東京墓マイラー)

このブログは青山霊園に眠る有名人-1からの続きです。改めて青山霊園のマップを記載しておきます。

小村寿太郎の墓所

明治時代の外交官。外相時代には日英同盟の締結、日露戦争後のポーツマス条約の締結、韓国併合を推進し、条約改正の完成(関税自主権の完全回復)などの業績を残し、近代日本外交を体現した人物として知られています。1911年(明治44年)に56歳で没。

小村寿太郎の墓
Pic.小村寿太郎の墓全景

小村寿太郎の墓
Pic.小村寿太郎の墓

青山霊園では珍しく案内板が整備されていました。

案内板
Pic.小村寿太郎の墓の案内板

国木田独歩の墓所

国木田独歩は明治時代の詩人、小説家。明治27年国民新聞記者として日清戦争に従軍。30年共著の詩集「抒情詩」に「独歩吟」をまとめ、ついで「源叔父」「武蔵野」などの浪漫的な短編小説を書きました。34年「牛肉と馬鈴薯」を発表、自然主義の先がけとして評価されました。1908年(明治41年)に38歳で没。

国木田独歩の墓
Pic.国木田独歩の墓所

斎藤茂吉・茂太の墓所

斎藤茂吉は大正・昭和期の歌人ですが本業は精神科医でした。伊藤左千夫に師事し、「アララギ」の編集を担当,島木赤彦らとアララギ派の歌風を確立しました。 近代人の生活に根ざした写生・万葉調の歌を詠みました。1953年(昭和28年)に70歳で没。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太です。

斎藤茂吉の墓
Pic.斎藤茂吉・茂太の墓所

尾崎紅葉の墓所

小説家で自然主義以前の明治文壇の大家。硯友社をおこして「我楽多文庫」を創刊。泉鏡花ら多くの門弟を擁し、著作「二人比丘尼色懺悔」「三人妻」「多情多恨」「金色夜叉」などがあります。幸田露伴と並称されています。

尾崎紅葉の墓
Pic.尾崎紅葉の墓所

忠犬ハチ公の碑と上野英三郎の墓所

上野英三郎博士は、日本の農学者で東京帝国大学教授でした。日本の農業土木、農業工学の創始者で、また東京都渋谷駅前に銅像が建つ忠犬ハチ公の飼い主としても知られています。上野英三郎博士の墓の傍には忠犬ハチ公の碑が建っています。

忠犬ハチ公の碑と上野英三郎の墓
Pic.忠犬ハチ公の碑と上野英三郎の墓所

北里柴三郎の墓所

近代日本医学の父として知られる微生物学者・教育者。1889年(明治22年)に破傷風菌の純粋培養に成功、翌1890年(明治23年)に血清療法を開発、さらに1894年(明治27年)にペスト菌を発見し「感染症学の巨星」と呼ばれました。1931年(昭和6年)に78歳で没。

北里柴三郎の墓
Pic.北里柴三郎の墓所

後藤新平の墓所

明治-昭和時代前期の政治家。明治41年桂内閣の逓信相兼鉄道院総裁、大正7年寺内内閣の外相となりシベリア出兵を推進。東京市長をへて、大正12年山本内閣の内相兼帝都復興院総裁となり、関東大震災後の東京の都市計画を指導しました。1929年(昭和4年)に71歳で没。

後藤新平の墓
Pic.後藤新平の墓所

外国人墓地

明治10年、築地居留地などに住む外国人の墓地を青山霊園に設けることが決まり、幕末から明治にかけて、教育や工学など様々な分野の基礎を作り、日本の近代化に大きく貢献された人や、その家族が多数、埋葬されたということです。外人墓地通りを目指します。和洋折衷式の墓標もあれば、伝統的な西洋式の墓石もあります。超豪華な西洋式墓標があるかと思えば、石棺の形をしたものまでありました。

青山霊園の外国人墓地
Pic.青山霊園の外国人墓地

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