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谷中霊園のイメージ

谷中霊園に眠る有名人-2

2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。

このブログは谷中霊園に眠る有名人-1からの続きです。改めて谷中霊園のマップを記載しておきます。

獅子文六の墓所

小説家,劇作家。本名岩田豊雄。フランスに遊学して近代劇を研究し、劇団文学座の創立育成に努めた。また1934年の「金色青春譜」を初めとして大衆文学に入り、ユーモアと風刺に富んだ風俗小説を書き、「信子」「海軍」等や、第2次大戦後の代表作として「自由学校」「娘と私」等がある。1969年(昭和44年)に76歳で没。

獅子文六の墓
Pic.獅子文六の墓

長谷川一夫の墓所

戦前から戦後の長きにかけて、日本映画界を代表する二枚目の時代劇スターとして活躍しました。照林院澄誉演雅一道大居士が長谷川一夫の墓です。1984年(昭和59年)に76歳で没。没後に国民栄誉賞を受賞。

長谷川一夫の墓
Pic.長谷川一夫の墓

森繁久彌の墓所

俳優、声優、歌手、喜劇俳優。昭和の芸能界を代表する国民的俳優の一人であり、映画・テレビ・舞台・ラジオ・歌唱・エッセイなど幅広い分野で活躍しました。2009年(平成21年)に96歳で没。没後に国民栄誉賞を受賞。

森繁久彌の墓
Pic.森繁久彌の墓

徳川慶喜公墓所

ここは正確には寛永寺墓地です。
江戸幕府第15代征夷大将軍、江戸幕府最後の征夷大将軍。慶応2年将軍となり幕政の改革をはかりましたが、3年大政を奉還し将軍職を辞任。4年鳥羽・伏見の戦いで敗れ、江戸開城後は水戸ついで駿府で謹慎しました。明治2年謹慎を解かれ、以後表舞台にはたたず、放鷹、油絵、写真などの趣味に生きました。1913年(大正2年)に77歳で没。

正面中央の二つの墓のうち、左側が徳川慶喜のもので、右側は正室の徳川美賀子のお墓です。

徳川慶喜の墓
Pic.徳川慶喜公墓所

徳川慶喜の墓
Pic.徳川慶喜公墓所全景

徳川御三卿の墓所

徳川御三卿とは一橋徳川家・田安徳川家・清水徳川家を指します。御三卿の墓所は当初は国立西洋美術館の位置にありましたが、明治政府の政策により寛永寺の多くの領地没収し上野公園になったため移設されたそうです。

一橋徳川家の墓
Pic.徳川御三卿の一橋徳川家の墓所

一橋徳川家の墓
Pic.徳川御三卿の一橋徳川家の墓所

全生庵 山岡鉄舟の墓所

谷中霊園から少し離れますが、近くの全生庵に山岡鉄舟の墓所があります。
幕末の幕臣であり、一刀正伝無刀流剣術の剣客。1863年清川八郎らと浪士組(新撰組の前身)を率いて上洛しました。1868年の戊辰戦争の際には勝海舟に協力し、駿府に西郷隆盛をたずねて江戸開城のための勝・西郷会談への道を開きました。維新後は明治天皇の侍従侍従となり,子爵を授けられました。

山岡鉄舟の墓
Pic.全生庵 山岡鉄舟の墓

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