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江戸東京ブログ

観音寺 築地塀

谷中のぶらり歴史散歩 -2

このブログは「谷中のぶらり歴史散歩-1」の続きの谷中ぶらり歴史街歩きです。

訪れた史跡は…

  

     

  • 朝倉彫塑館
  •  

  • 香隣舎
  •  

  • 幸田露伴旧居跡
  •  

  • 観音寺の築地塀
  •  

  • 旧吉田酒店、カヤバ珈琲
  •   

朝倉彫塑館

入館して展示を見るのは有料の施設です。
日本近代彫塑界の最高峰であり、文化勲章受章者である朝倉文夫が住宅兼アトリエとして使用していた建物です。敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国名勝に指定されており、建物は国有形文化財に登録されています。「墓守」「大隈重信候像」「仔猫の群」「時の流れ」など、朝倉文夫の彫塑作品を展示しています。

朝倉彫塑館
Pic.朝倉彫塑館

香隣舎

築年など詳細は不明です。明治時代の商家(酒屋)の趣を残しており、保存状態も良く谷中らしい建物のひとつです。個人所有の建物ですが、ご厚意により地域のイベント等に貸し出しされているようです。

香隣舎
Pic.香隣舎

幸田露伴旧居跡

幸田露伴が「五重塔」を書いた頃住んでいた旧居跡です。この場所に幸田露伴は1891年(明治24年)から約2年間住んでいました。幸田露伴は日々この家から谷中の五重塔を眺めていました。そして、この天王寺五重塔をモデルにした「五重塔」を執筆したといいます。

幸田露伴旧居跡
Pic.幸田露伴旧居跡

観音寺の築地塀

観音寺の築地塀は幕末の頃に築かれたもので、当寺は観音寺の境内の東面と南面を囲っていましたが、南面のみ現存しています。江戸時代から続く有数の寺町である谷中の当時の面影を伝えています。

観音寺の築地塀
Pic.観音寺の築地塀

観音寺の築地塀
Pic.観音寺の築地塀

全生庵 山岡鉄舟の墓

幕末、江戸幕府は松平忠敏のもと浪士組を募集し、山岡鉄舟は浪士組の取締役となりました。その後、戊辰戦争で勝海舟と協力、静岡で西郷隆盛と会見して勝・西郷会談への道を開き、江戸無血開城に奔走しました。この全生庵は1880年(明治13年)、山岡鉄舟が明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために創建したものです。

山岡鉄舟の墓
Pic.山岡鉄舟の墓 全生庵

旧吉田酒店

現在は下町風俗資料館の付設展示場になって無料で開放されています。あいにく当日は閉まっていました。谷中で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物を現在地に移築したものです。明治43年に建てられた建物は、腕木より軒桁が張り出している出桁造で、また正面入口には板戸と格子戸の上げ下げで開閉する揚戸が設けられていて、明治時代の商家建築の特徴を示すものとのこと。

旧吉田酒店
Pic.旧吉田酒店

旧吉田酒店
Pic.旧吉田酒店

カヤバ珈琲

旧吉田酒店の道を挟んだ隣にある大正の町屋です。

カヤバ珈琲は、推定1916年(大正5年)の建設以降、ミルクホール、かき氷・あんみつ店、などを経て1938年(昭和13年)に「カヤバ珈琲店」となり、 谷中のシンボルとして地域住民の方々をはじめ、近隣にある東京芸大関係者など、 幅広い層に長年親しまれたお店でした。しかし、2006(平成18年)に閉店してしまいました。しかし、この喫茶店の復活を願った方々の支援によって、2008年(平成20年)にNPO法人たいとう歴史都市研究会が借り受けて、新たな運営者によって現在のカヤバ珈琲が復活しました。(webより)

カヤバ珈琲
Pic.カヤバ珈琲

この一角には、以前に報告したブログ「谷中で見る 都心に生きる古木」の大雄寺のクスノキ谷中岡埜栄泉愛玉子(台湾のスイーツらしい)など、谷中らしいレトロ建築の見どころが集まっていて人が集まる場所でもあります。

谷中は震災や戦災に耐えた町屋など、レトロ建築が多く残されています。ぶらぶら歩いていて、こんな建物に出合う「発見」の楽しみが目的の一つです。

町屋
Pic.見つけた町屋

町屋
Pic.見つけた町屋

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