Blog

江戸東京ブログ

雑司ヶ谷霊園

雑司ヶ谷霊園に眠る有名人-2 (東京墓マイラー )

このブログは雑司ヶ谷霊園に眠る有名人-1からの続きです。改めて雑司ヶ谷霊園のマップを記載しておきます。

江戸家猫八(3代目)の墓所

2001年(平成13年)に没。ものまね芸では名人といわれた初代江戸家猫八の六男。幼いころから父親に伴われて旅興行などについて回り、昭和16年古川緑波一座へ入ったが、召集されて各地を転戦、広島で原爆に被爆。戦後復員し、25年3代目猫八を襲名。父親譲りのウグイス、コオロギなどの動物の鳴きまね芸で寄席で活躍親しみやすい芸風と容貌で一躍人気者になりました。俳優としても好脇役として高い評価を得ていました。

江戸家猫八(3代目)の墓
Pic.江戸家猫八(3代目)の墓

江戸家猫八(3代目)の墓
Pic.江戸家猫八(3代目)の墓

竹久夢二の墓所

1934年(昭和9年)に没。美人画で一世を風靡した「大正ロマン」を代表する画家。その美人画は夢二式と呼ばれて、明治末から大正にかけて大いに流行しました。画集「春の巻」「夏の巻」、詩歌集「どんたく」など。

竹久夢二の墓
Pic.竹久夢二の墓

竹久夢二の墓
Pic.竹久夢二の墓

夏目漱石の墓所

漱石は1867年(慶応3)、江戸牛込の名主の子に 生まれました。17歳のとき正岡子規と出会い友情を深めました。東京帝国大学英文学科へ入学、秀才ぶりを発揮しました。卒業後は松山中学,五高教師を経て1900年、 33歳のときに英国へ留学しましたが、留学中に神経衰弱に陥ってしまい帰国。帰国後に高浜虚子に小説を勧められ、「吾輩は猫である」を執筆しました。続けて「坊ちゃん」などを発表し 一躍人気作家となりました。明治43年、43歳のときに胃潰瘍を患い療養生活となり、49歳で再発し、その短い生涯を閉じました。

夏目漱石の墓
Pic.夏目漱石の墓

夏目漱石の墓
Pic.夏目漱石の墓

夏目漱石の墓
Pic.夏目漱石の墓

夏目漱石の墓
Pic.夏目漱石の墓

金田一京助の墓所

1971年(昭和46年)に没。言語学者,国語学者。盛岡市の生れ。東大言語学科卒。アイヌ語研究とユーカラの学問的研究を大成した。主著に《国語音韻論》《アイヌ叙事詩ユーカラの研究》《国語史系統篇》、また高等小学校以来の友人石川啄木に関して《新訂版石川啄木》があります。

金田一京助の墓
Pic.金田一京助の墓

金田一京助の墓
Pic.金田一京助の墓

ジョン万次郎の墓所

幕末の幕臣。土佐の漁師の息子。1841年(天保12年)、出漁中に遭難して米船に救われ、米国で教育を受けました。1851年(嘉永4年)帰国し、幕府に用いられて軍艦操練所に勤務し「咸臨丸」の遣米使節に随行しました。明治政府成立とともに開成学校教授、のち文部中博士となりました。

ジョン万次郎の墓
Pic.ジョン万次郎の墓

ジョン万次郎の墓
Pic.ジョン万次郎の墓

関連記事