本郷三丁目のぶらり街歩き-1
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
本郷三丁目駅を起点に1時間ほどの「本郷三丁目駅を起点にぶらり街歩き」をしてみました。このブログは「その1」です。
ブログ「本郷三丁目駅を起点にぶらり街歩き」に「その1」「その2」の全体の説明がありますので参照してください。
本郷三丁目交差点に「かねやす」ビルがあり、壁面に説明板が埋め込まれています。
かねやす説明板
享保15年大火があり、幕府は防災上本郷三丁目から江戸城にかけて屋根は萱葺を禁じました。江戸の町並みは、本郷までは瓦葺がつづき、それからの中山道は板や茅葺の家が続いたという。その境目が「かねやす」でした。それで、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳で詠まれました。小間物屋かねやすは享保年間の創業からおよそ300年営業していたそうです。
Pic.かねやす説明板
本郷通りを東大方向へ歩くと、すぐに車道と歩道の間に「見送り坂 見返り坂」の説明板があります。
見送り坂 見返り坂
罪を犯し江戸を追放された者がこの別れの橋で放たれ、南側の坂で親類縁者が見送ったので「見送り坂」。追放された人が振り返りながら去ったので「見返り坂」という呼び方がされました。風流かつ叙情的ないい呼び名です。
Pic.見送り坂 見返り坂
東大赤門とスダジイ
東大の本郷キャンパスは加賀藩江戸上屋敷でした。1827年(文政10年)、前田家が将軍徳川家斉の溶姫を迎え入れる際に建てられた朱塗りの門です。正式名は「旧加賀屋敷御守殿門」といい、国の重要文化財に指定されています。赤門の両脇のスジダイも樹齢300年の古木です。
Pic.東大赤門
Pic.東大赤門とスダジイ
Pic.東大赤門とスダジイ
東大正門
設計は伊東忠太。左右対称型に正門・煉瓦塀・門衛所が並んでします。花崗岩製の正門は冠木門を基調にデザインされたといわれ、門衛所とも伝統的な様式形態を保ちつつ新たな時代性を追求しているデザインとなっています。
Pic.東大正門
Pic.東大正門
法真寺 (桜木の宿)
「にごりえ」「たけくらべ」など、すぐれた作品を発表し24年余の生涯でこの世を去った樋口一葉。一葉は、4歳から5年間を法真寺の隣家で過ごしています。のちに一葉は、その家を「桜木の宿」と名付け、座敷や庭の様子などを雑記のなかに書きとどめ当時のくらしを懐かしんでいます。法真寺に一葉塚と像があります。
Pic.法真寺 一葉塚
東大と本郷通りを挟んだ反対側は、明治からの面影を残しているレトロ建築が点在しています。
郁文堂 (レトロ建築)
竣工年は1923年(大正12年)。日本晝夜銀行本郷支店として建築されました。震災でも損傷なく、空襲の際も被害が軽微であり、大正当時のままの姿をとどめているレトロ建築です。
Pic.郁文堂
Pic.郁文堂
万定フルーツパーラー (看板建築)
竣工年は1928年(昭和3年)。当時、フルーツを喫茶で食べるという「フルーツパーラー」 が流行し、東大の教授たちに親しまれてきたそうです。欧風の装飾を施した、いわゆる看板建築です。現在はすでに閉店していました。
Pic.万定フルーツパーラー
Pic.万定フルーツパーラー
棚沢書店 (町屋)
明治の中期に洋品店舗として建築され、震災、その後の空襲においても被害を受けませんでした。当時の東京大学周辺の商家の町並み景観を伝える建物です。現在も現役の書店です。
Pic.棚沢書店
Pic.棚沢書店
ここから一旦、本郷三丁目交差点に戻り石川啄木旧居・喜之床跡へ向かいます。続きはブログの本郷三丁目ぶらり街歩き-2をご覧ください。