池袋ぶらり歴史散歩-2 昭和の飲み屋街
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
JR池袋駅東口からサンシャイン方面の有楽町線東池袋駅にかけての1-2時間ほどの池袋ぶらり歴史散歩をしてみました。そのうちの池袋の昭和の飲み屋街の編です。
イケ・サンパーク方面から池袋駅方向へ向かう途中に、いくつか寄り道ポイントを見つけました。
まず記憶に新しい悲惨な事故があった慰霊碑です。2019年に元高級官僚だった90歳の運転するプリウスが暴走し多数の死傷者を出しました。とりわけ公園から帰りに事故に遭い死亡した母子に同情が集まりました。
Pic.まだ真新しい暴走事故の慰霊碑
南池袋公園へ向かう途中に偶然、明治天皇御野立所跡という石碑を発見しました。明治8年に天皇が板橋で近衛兵の演習を観覧された際にこちらで休憩した場所といことです。当時はこの辺は原野だったと思われます。更にその傍らに「人世横丁跡の記念の石碑」がありました。青江美奈の「池袋の夜」の歌詞に出てくる横丁でしたが再開発により消滅したとのことです。
Pic.明治天皇御野立所跡の石碑
Pic.人世横丁跡の記念の石碑
南池袋公園には、戦争中に空襲に遭った人たちの慰霊碑があるということで探しました。先ほどの暴走事故にあった母子は恐らく、この公園の帰りに事故に遭ったと想像しています。
Pic.南池袋公園の全景
空襲の慰霊碑が見つかりました。う〜ん、ちょっと残念な慰霊碑、というか案内板でした。
Pic.豊島区空襲慰霊碑
昭和の飲み屋街 栄町通り
池袋駅からはサンシャイン通りから入るのが分かりやすいところです。現在も周囲は飲食店などが多く人通りも絶えません。栄町通りの路地に入ると昭和のバラック然とした雰囲気が残っています。
Pic.栄町通りの路地
Pic.栄町通りの路地
昭和の飲み屋街 美久仁小路
栄町通りに隣接して美久仁小路があります。青江美奈の「池袋の夜」の歌詞に出てくる人生横丁は消滅しましたが、美久仁小路は現存しています。
Pic.美久仁小路の路地
Pic.美久仁小路の路地
青江美奈の「池袋の夜」を聞いてみましょう。1969年(昭和44年)ですから、ある年齢以上の人には懐かしい曲です。
あなたに逢えぬ 悲しさに 涙もかれて しまうほど 泣いて悩んで 死にたくなるの せめないわ せめないわ どうせ気まぐれ東京の 夜の池袋
他人のままで 別れたら よかったものを もうおそい 美久仁小路の 灯りのように 待ちますわ 待ちますわ さようならなんて言われない 夜の池袋
にげてしまった 幸福は しょせん女の 身につかぬ お酒で忘れる 人生横丁 いつまでも いつまでも どうせ気まぐれ東京の 夜の池袋
因みに東京レトロ街歩きガイド&マップでは、昭和の飲み屋街 栄町通りと美久仁小路はTh-11消滅寸前 昭和の飲み屋街に収録されています。
池袋駅東口方面へ向かいますが、途中にビルに挟まれながらも現存している看板建築があります。旧キリン堂薬局で昭和30年代の看板建築のようです。見た目は落書きもされて長いこと「放置状態」なのが分かります。昭和30年代には、こういう店が軒を並べていた街並みが想像できます。このさく、保存するのか、取り壊されるのか、はたまた放置されるのか興味がつきません。
Pic.旧キリン堂薬局(看板建築)
池袋の西武デパートの向かい側、確か昭和には池袋を代表する本屋、新栄堂書店があった場所の前に交番があります。記憶する限りの数十年前から交番があったのは認識していたのですが、これが「ふくろう交番」になったというのは、今の今まで知りませんでした。見る角度によりますが、確かに「ふくろう」です。正式には池袋警察署池袋駅東口交番というらしいです。
Pic.池袋警察署池袋駅東口交番(ふくろう交番)
ここまで来ると池袋駅東口はすぐ目の前です。巣鴨プリズンから初めて2時間の池袋のぶらり歴史散歩でした。