三田の慶應大学を歩く
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
このブログは「三田の慶應大学を歩く」です。
高輪を中心に品川から三田に至る起伏のある台地の縁を歩き、今に残る名坂と史跡を辿ります。ブログ「高輪、三田の街歩きウォーキング 概要編」からの続きですので、参照してください。
尚、慶應大学は東京レトロ街歩きガイド&マップのエリア別「Ar-09三田から白金、泉岳寺を歩く」とテーマ別「Th-09大学はタイムカプセル」に収録されています。
福澤諭吉像
中津藩藩士であった福沢諭吉は江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内に蘭学塾を創設。1868年(慶応4年)には蘭学塾を慶應義塾と名づけました。1871年(明治4年) この地に移転した際に諭吉の邸宅とした場所です。1954年(昭和29年)、福澤先生銅像建設会の寄贈で柴田佳石制作の胸像です。
Pic.福澤諭吉像
Pic.福澤諭吉像
福沢諭吉終焉の地碑
1871年(明治4年) 三田に移転した際に諭吉の私邸も敷地内にありました。1901年に66歳で没。終焉の地を示した石碑が設置されています。
Pic.福沢諭吉終焉の地碑
Pic.福沢諭吉終焉の地碑
三田演説館
1875年(明治8年)の開館。三田演説館は日本最初の演説会堂です。米国から取り寄せた図面を基に洋風でありながら、外観は木造瓦葺、なまこ壁といった日本独特の手法が用いられている擬洋風建築。
Pic.三田演説館
慶應義塾図書館 旧館
竣工は1912年(明治45年)、曾禰達蔵・中條精一郎の設計。レンガおよび花崗岩のゴシック様式のこの建物はその瀟洒で華麗な外観から、慶應義塾のシンボル的存在として愛されています。
Pic.慶應義塾図書館 旧館
Pic.慶應義塾図書館 旧館
塾監局
竣工は1926年(大正15年)、 図書館旧館と同じく曾禰達蔵・中條精一郎の設計。褐色のタイル貼り2階部分には半円アーチ窓。玄関ポーチの構えや最上部の尖ったパラペットなど、様式主義の色が残った外観です。
Pic.塾監局
Pic.塾監局