築地の町屋、看板建築
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
都内にある町屋や看板建築は東京大空襲で多くが焼失しましたが、築地、銀座あたりは焼失を免れた町屋や看板建築がまだ多く残っています。これらは老朽化による建替えや再開発、持ち主の高齢化もあり、どんどん取り壊しが進み消滅寸前になっています。消滅してしまう前に、築地界隈の今に残る町屋、看板建築を歩いて探索します。
取り上げた町屋や看板建築は東京レトロ街歩きガイド&マップのエリア別「Ar-07築地から佃島、月島を歩く」、もしくは「Th-07今に残る近代レトロ建築」に収録されています。
築地6〜7丁目の町屋、看板建築
築地は東京大空襲でも焼失を免れたエリアも多く、町屋、看板建築が比較的多く残っています。特に築地6丁目、7丁目あたりには看板建築が集中してあります。この近辺を歩いていると、取り上げた建物以外にも町屋や看板建築を簡単に見つけることができますので、カメラ片手に歩くのがオススメです。
大宗旅館の築年は昭和初期で、武家屋敷型木造住宅という造りです。間口の広い旧武家地の敷地に入母屋屋根をかけ、門塀を構えて庭もあります。
Pic.大宗旅館 武家屋敷型
亀屋は築年が1927年(昭和2年)の銅板貼り看板建築です。 築地の老舗のおでん屋さん(すでに閉店かは不明)。角地ですが道路の片面のみに銅板が貼ってあります。
Pic.亀屋 銅板貼り看板建築
Pic.亀屋 銅板貼り看板建築
中央食品の築年は不詳。切妻屋根に銅板貼りというとても珍しい造りです。
Pic.中央食品
乾電機の築年は1927年(昭和2年)の町屋です。すでに閉店のようです。この一角の路地は町家が数軒残っており、かつての町並みを彷彿させます。
Pic.乾電機 町屋
Pic.乾電機隣接の長屋
ササヤの築年は1928年(昭和3年)。軒を立ち上げ陸屋根風に見せる銅板貼り看板建築です。
Pic.ササヤ 銅板貼り看板建築
酒井家住宅の築年は昭和初期。河岸問屋の店員住宅が受け継がれた、小洋館付き町家建築です。終戦後に被災した店員も住める住宅として建てられ、洋館の増築がしてあります。
Pic.酒井家住宅 町屋
築地場外市場隣接の町屋、看板建築
築地場外市場の中にも看板建築が多くありますが、人混みやら混沌として建物の確認も難しいところもありますので、今回は取り上げていません。機会があればブログにて取り上げたいと思います。
カットハウス松原の築年は昭和初期の3階建てマンサード屋根が特徴の看板建築です。隣に並んで銅板貼り看板建築があり、かつての街並みが感じられます。
Pic.カットハウス松原と銅板貼り看板建築
築地本願寺の隣の人通りの多い角地にある金子家住宅。築年は昭和初期の数寄屋風建築です。築地本願寺の塀と連続した門塀、主屋、前庭、正面右脇の路地などが歴史的景観を形成していて、門前の歴史的雰囲気を今に伝える建物です。
Pic.金子家住宅
Pic.金子家住宅