Ar-07 築地から佃島、月島を歩く
築地本願寺、築地場外市場を経て明石町へ、さらに隅田川を佃大橋で渡り佃島から月島に至るまでを歩きます。
推奨する街歩きの起点
築地駅 八丁堀駅 新富町駅
主なポイント抜粋
江戸史跡
八丁堀の与力・同心組屋敷跡
捕物帳で庶民から「八丁堀の旦那」と呼ばれた、町奉行配下の与力・同心の町でした。
蘭学事始の地 (中津藩奥平家屋敷跡)
蘭学者の前野良沢、杉田玄白らは1774年 (安永3年)、この地 (中津藩奥平家)で「解体新書」を出版しました。
シーボルトの胸像(あかつき公園)
1823年、長崎から江戸に来たシーボルトは江戸の蘭学者たちに面接指導し大きな影響を与えたました。
間新六之塔 (築地本願寺)
泉岳寺に引き揚げる途中自身の供養を願い、槍に書状と金子を結びつけて投げ入れたといいます。
浅野家内匠頭邸跡
内匠頭長距が切腹を命じられ赤穂浅野藩が断絶するまで、赤穂浅野藩の藩屋敷に供されていました。
幕府の軍艦操練所
江戸幕府が幕末に海軍士官の養成のために築地に設置しました。教授陣には勝海舟、ジョン万次郎などがあたり、海軍の
先駆けとなりました。
近代遺構
慶應義塾発祥の地記念碑
藩命により築地鉄砲洲の中津藩中屋敷に1858年(安政5年)に開校した「蘭学塾」が起源。碑は昭和33年に慶應義塾創立百 年を記念して谷口吉郎設計にて建立。
芥川龍之介生誕の地
明治25年、乳牛牧場の経営者の長男として生まれました。龍之介は生誕7ヶ月にして、家庭の事情から母の長兄芥川家に引 き取られて両国に移りました。
近代レトロ建築
築地本願寺
竣工年:1934年(昭和9年) 設計:伊東忠太。
震災後にインドの古代仏教建築の外観、内部は日本の伝統的意匠の独自のユニークな建築様式を作り出しています。
聖路加国際病院トイスラー記念館
竣工年:竣工年:1933年(昭和8年) 設計:バーガミニー。
聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。ハーフティンバー風の山荘を思わせる重厚な建物です。
中央区立明石小学校
竣工年:1926年(昭和元年) 設計:東京市。
現在の校舎は震災後に建てられた復興小学校を復元建て直したものです。
カトリック築地教会
竣工年:1927年(昭和2年) 設計:ジロジアス神父。
関東大震災で聖堂が焼失・倒壊。再建された聖堂は古代ギリシアのドーリア式神殿を忠実に模して木造モルタル造にて建設されています。
看板建築 町屋
池田靴店
築年:1928年(昭和3年)和風建築。
珍しいタイル貼りの長屋型看板建築です。数色のタイルをモザイク状に組み合わせ凝った装飾を施しています。
大野屋 総本店
築年:昭和初期 町屋。
嘉永年間の創業で、歌舞伎役者がなじみにした老舗足袋屋。典型的町家の構えを良く残しています。
宮川食鳥鶏卵
築年:不詳 銅板貼り看板建築。
角地に建ち、角を切り落として入り口にした3階建ての銅板貼り看板建築で、パラペットのデザインもユニークです。
鉄板焼Kurosawa
築年:1927年(昭和2年)和風木造建築。
大工棟梁ではなく建築家が設計した近代和風建築で、入母屋屋根重厚な外観は、武家屋敷を連想させます。
金子家
築年:昭和初期 数寄屋風建築。
築地本願寺の塀と連続した門塀、主屋、前庭、正面右脇の路地などが歴史的景観を形成していて、門前の歴史的雰囲気を今に伝える建物です。
カットハウス松原
築年:昭和初期 看板建築。
3階建てマンサード屋根が特徴の看板建築です。
乾電機
築年:1927年(昭和2年)町屋。
この一角の路地は町家が数軒残っており、かつての町並みを彷彿させます。
佃煮 天安
築年:昭和初期 町屋。
1837年(天保8年)の創業。昭和初期の木造建築で、日除けの太鼓暖簾も人気です。
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