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二・二六事件の山王ホテル前

五・一五事件 二・二六事件 戦争のはじめを辿る歴史散歩

2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。

時は1930年代。世界恐慌により日本も深刻な不景気に見舞われました。人びとは政党に失望し財閥を憎み、軍部が政治に関わり始めました。そうした世相の中、三井財閥総帥の團琢磨が右翼の血盟団により暗殺され、さらに1932年(昭和7年)に海軍の青年将校らが首相官邸に侵入し 犬養毅首相を官邸で殺害するという五・一五事件が起きました。そしてついに1936年(昭和11年) に陸軍の部隊が蜂起して高橋是清大蔵大臣や齋藤実内大臣などを殺害、政府中枢部を占領するという二・二六事件に至りました。これをきっかけに日本は戦争への坂を転がり始めました。

まさに東京のど真ん中で起きたクーデター、時代の分水嶺となった一連の事件の痕跡、遺構を探訪します。検討したコースは世田谷の実相院からスタートして九段会館までで、このテーマに沿ってしっかり歩きます。電車移動9km、歩く距離は約14km、21500歩の「散歩」というよりは「ウォーキング」です。こういう街歩きもいいですね。

訪れた史跡は…

  

     

  • 高橋是清翁之鬚墓 (実相院)
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  • 二・二六事件慰霊像
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  • 二・二六事件 二十二士の墓 (賢崇寺)
  •  

  • 旧歩兵第一連隊碑 (檜町公園)
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  • 旧歩兵第三連隊兵舎 (国立新美術館)
  •  

  • 青山霊園 犬養毅の墓所(五・一五事件)
  •  

  • 青山霊園 井上準之助の墓所(血盟団事件)
  •  

  • 高橋是清翁記念公園 高橋是清翁像
  •  

  • 旧近衛歩兵第三連隊跡地
  •  

  • 二・二六事件の反乱部隊司令部 (山王ホテル跡)
  •  

  • 旧首相官邸 (首相公邸)
  •  

  • この地の由来碑 参謀本部跡
  •  

  • 二・二六事件戒厳司令部(軍人会館)
  •   

今回は血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件というテーマに沿って痕跡を辿るので、電車で移動しながら歩きます。まずは東急田園都市線桜新町駅からスタートして実相院へ向かいます。

高橋是清翁之鬚墓 (実相院)

正式な高橋是清の墓は多磨霊園にあります。高橋是清翁之鬚墓は文字通り、永井如雲画伯が高橋是清の鬚を生前にもらい受け、それを埋葬した鬚の墓です。

実相院 山門
Pic.実相院 山門

山門をくぐり本堂へ向かう左側に高橋是清翁之鬚墓の墓碑が単独で立っています。

高橋是清翁之鬚墓
Pic.高橋是清翁之鬚墓

桜新町駅へ戻り、渋谷駅から渋谷区役所、NHK方面に歩き渋谷税務署を目指します。

二・二六事件慰霊像

二・二六事件では、「反乱軍」となった陸軍の青年将校率いる部隊が総理大臣官邸、高橋是清大蔵大臣私邸、斎藤実内大臣の私邸、渡部教育総監私邸、鈴木侍従長官邸、各新聞社などを襲撃しました。

現在の渋谷税務署などの入る渋谷地方合同庁舎は旧東京陸軍刑務所があった所で、陸軍青年将校16名の銃殺が行なわれました。犠牲者と処刑者を弔って1965年(昭和40年)に慰霊像が建立されました。

二・二六事件慰霊像
Pic.二・二六事件慰霊像

二・二六事件慰霊像
Pic.二・二六事件慰霊像

半蔵門線渋谷駅から青山一丁目駅乗り換えで大江戸線麻布十番駅南2出口から出て賢崇寺を目指します。

二・二六事件 二十二士の墓 (賢崇寺)

反乱軍とされて鎮圧され、処刑されるなど、この事件に関わった二十二士の墓があります。反乱軍の首謀者は陸軍・皇道派で、うち2人の大尉は自決、残りの将校たち19人は軍法会議で死刑が宣告されて処刑されました。この墓は、21人に、皇道派に属し前年に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害して死刑が執行された相澤三郎中佐を加えた二十二士に由来するとされます。

二・二六事件 二十二士の墓 (賢崇寺)
Pic.二・二六事件 二十二士の墓 (賢崇寺)

麻布十番駅に戻り、大江戸線六本木駅8から出て東京ミッドタウンを目指します。ここからは、国立新美術館、青山霊園、首相官邸などに寄りながら有楽町線桜田門駅までを歩きます。

歩一の碑 (旧歩兵第一連隊)

歩一とは歩兵第一連隊の略称で、二・二六事件で多数の将兵が参加した部隊です。 現在の東京ミッドタウンは二・二六事件に参加したことで知られる日本陸軍第一師団歩兵第一連隊の駐屯地でした。戦後は旧防衛庁が置かれ、さらに東京ミッドタウンに再開発されて碑がここに移築されたものです。

歩一の碑
Pic.歩一の碑 (旧歩兵第一連隊)

旧歩兵第三連隊兵舎 (国立新美術館)

国立新美術館が建つ敷地には、1928年に建設された旧陸軍歩兵第三聯隊の兵舎があり、二・二六事件で反乱将校らがこの兵舎からも出撃しました。兵舎は、地上3階・地下1階の4層構造。上から見て「日」の字型の構造を持ち、モダンなデザインや旧陸軍としては初の鉄筋コンクリート造の兵舎建築となるなど、建築史的にも注目されています。 国立新美術館の別館に旧弊社の一部が保存され、美術館内ロビーに兵舎のジオラマが展示されています。

旧歩兵第三連隊兵舎
Pic.旧歩兵第三連隊兵舎 (国立新美術館)

旧歩兵第三連隊兵舎
Pic.旧歩兵第三連隊兵舎のジオラマ

青山霊園 犬養毅の墓所(五・一五事件)

藩閥政府に反対し大正デモクラシー運動ではその先頭に立っていました。普選運動・護憲運動に指導的役割を果たし、文相・逓相などを歴任。1931年に首相となり組閣,満州事変の難局にあた利ましたが、翌年の五・一五事件により総理公邸で暗殺されました。

犬養毅の墓所
Pic.犬養毅の墓所 青山霊園

青山霊園 井上準之助の墓所(血盟団事件)

1927年金融恐慌の際に総裁再任。第2次山本内閣、浜口および第2次若槻内閣の蔵相を歴任し,関東大震災の善後処理や金解禁を行いました。緊縮政策と世界恐慌のため経済の大混乱を招き、血盟団事件で暗殺されました。

井上準之助の墓所
Pic.井上準之助の墓所 青山霊園

高橋是清翁像 高橋是清翁記念公園

日本の金融界の重鎮であり、大正から昭和初期にかけて首相、蔵相をつとめた政治家、高橋是清の邸宅跡で、現在は公園になっています。二・二六事件ではこの邸宅で暗殺されました。公園内には高橋是清翁像があります。

高橋是清翁像
Pic.高橋是清翁像

高橋是清翁像
Pic.高橋是清翁像

旧近衛歩兵第三連隊跡地

赤坂には陸軍の兵営が集中しており、現在のTBS放送センターと赤坂サカスがある場所には近衛第2師団に所属していた近衛歩兵第三連隊が駐屯していました。近衛歩兵第三連隊は、近衛師団にもかかわらず二・二六事件に将兵の一部が参加し、時の大蔵大臣高橋是清を殺害してしまった部隊でした。

旧近衛歩兵第三連隊跡地
Pic.旧近衛歩兵第三連隊跡地

旧近衛歩兵第三連隊跡地
Pic.旧近衛歩兵第三連隊跡地

二・二六事件の反乱部隊司令部 (山王ホテル跡)

山王パークタワーは、昭和11(1936)年のクーデター事件、二・二六事件で叛乱部隊が占拠し、その司令部となった山王ホテルの跡地に建てられたビルです。二・二六事件では反乱軍に占拠され、反乱軍側の司令部となりました。碑は見当たりませんし、全く面影を残していません。

二・二六事件当時の山王ホテル
Pic.二・二六事件当時の山王ホテル

山王パークタワー
Pic.山王パークタワー

旧首相官邸 (首相公邸)

五・一五事件や二・二六事件の舞台とな り、犬養毅はここで殺害されました。現在の公邸は旧総理大臣官邸を移動(曳家) して改装されたものです。道路越しにかろうじて見てとれます。

旧首相官邸 (首相公邸)
Pic.旧首相官邸 (首相公邸)

この地の由来碑 参謀本部跡

現在の国会議事堂、国会前庭一体は陸軍の参謀本本部と陸軍省が設置されていました。日本水準原点標庫も参謀本部の一部でした。2022年春の時点では憲政記念館が工事中のため、この地の由来碑は見れませんでした。

国会前庭 この地の由来碑
Pic.国会前庭 この地の由来碑

国会前庭 この地の由来碑
Pic.国会前庭 この地の由来碑

有楽町線桜田門駅から永田町駅乗り換えで半蔵門線九段下駅4出口から出て九段会館へ向かいます。

二・二六事件戒厳司令部(九段会館)

旧称は軍人会館。 二・二六事件では戒厳司令部が置かれた建物です。再開発により既に解体され、城郭風の建築様式を残しつつ建て替え中で、2022年春時点でほぼ完成していました。

二・二六事件での戒厳司令部(軍人会館)
Pic.二・二六事件での戒厳司令部(軍人会館)

取り壊し前の九段会館
Pic.取り壊し前の九段会館

再開発での完成間近の九段会館
Pic.再開発での完成間近の九段会館

再開発での完成間近の九段会館
Pic.再開発での完成間近の九段会館

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