雑司ヶ谷霊園に眠る有名人-1
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
(誰でもそうですが、)歴史上の有名人の最後の足跡が墓所ということになります。にわか墓マイラーとなって、都内の有名人の墓所を巡るものです。
霊園内はお墓の住所というものがありますが、それでも目指すお墓にアクセスするのは一苦労です。そこで、コースマップではGoogleマップでお墓の位置に正確にピンを立てて、自分のいる現在位置と見比べて迷わずにアクセスできるようにしてあります。
今回は、エリア別東京レトロ街歩き「Ar-18護国寺から雑司ヶ谷、池袋を歩く」、もしくは「Th-16有名人のお墓を訪ねる」のうち、雑司ヶ谷霊園の墓所を巡ります。
雑司ヶ谷霊園は青山霊園と同様に1874年(明治7年)に公共墓地となりました。雑木林のような自然に近い環境が広がります。
にわか「墓マイラー」となり有名人の足跡に思いを馳せます。有名人の墓はたくさんありキリがないのですが、独断と偏見で下記の有名人に絞りました。また掲示順は雑司ヶ谷霊園の配置から、この順番で効率よく周れる経路順になっています。
訪れた墓所は…
- 永井荷風
- 小泉八雲
- 東條英機
- サトウハチロー
- 大川橋蔵
- 泉鏡花・泉斜汀
- 江戸家猫八
- 竹久夢二
- 夏目漱石
- 金田一京助
- ジョン万次郎
紀行の詳細は、江戸家猫八から「谷中霊園に眠る有名人-2」に続きます。こちらもご覧ください。
永井荷風の墓所
1959年(昭和34年)に没。小説家。初めゾラを模倣した自然主義的作品を書いて出発したが、アメリカ・フランスに赴き、帰朝後、耽美派の代表的作家として活躍。かたわら慶応大学教授に就任、「三田文学」を発刊主宰しました。江戸趣味を基調として花柳界や陋巷を題材にした多くの作品を残しました。著「地獄の花」「あめりか物語」「すみだ川」「腕くらべ」「つゆのあとさき」「濹東綺譚」など。
Pic.永井荷風の墓
Pic.永井荷風の墓
小泉八雲の墓所
明治時代の小説家・英文学者。本名はラフカディオ・ハーン。ギリシア生まれのイギリス人で、1890年特派記者として来日。英語教師として島根県松江中学校に勤め、小泉セツと結婚し1896年帰化し小泉八雲と改名しました。のち東京大学・早稲田大学の講師となり英文学を講じ、日本文化に関心をもち日本関係の作品『怪談』など著書が多数あります。
Pic.小泉八雲の墓
Pic.小泉八雲の墓
東條英機の墓所
陸軍大将。関東軍参謀長・陸相を経て、1941年(昭和16年)に首相に就任。内相・陸相を兼任し、太平洋戦争開戦の最高責任者となったが、戦況不利となった昭和19年総辞職。戦後、極東国際軍事裁判でA級戦犯とされ、巣鴨プリズンにて絞首刑となりました。
Pic.東條英機の墓
Pic.東條英機の墓
サトウハチローの墓所
1973年(昭和48年)に没。詩人。15歳で西条八十に入門、童謡をつくりはじめました。1930年からは歌謡曲の作詞もはじめ、一方、詩集《爪色の雨》《おかあさん》があります。童謡〈めんこい仔馬〉〈ちいさい秋みつけた〉、歌謡曲〈リンゴの唄〉〈長崎の鐘〉など多数。
Pic.サトウハチローの墓
Pic.サトウハチローの墓
大川橋蔵の墓所
1984年(昭和59年)に没。6代目尾上菊五郎に芸養子として引き取られ、2代目大川橋蔵を襲名したあと、若手女形として頭角を現わしました。昭和30年東映に入社、時代劇の二枚目として中村錦之助と並ぶ人気スターとなりました。以後10年間で約110本の映画に出演し、テレビの橋蔵主演の「銭形平次」は888回、18年の長寿番組を記録しました。
Pic.大川橋蔵の墓
Pic.大川橋蔵の墓
泉鏡花・泉斜汀の墓所
泉鏡花は明治、大正時代の小説家・劇作家。1939年(昭和14)に没。尾崎紅葉の指導をうけ,繊細優雅な文体で、独特の神秘的・ロマン的な作品を発表。代表作に小説「夜行巡査」「照葉狂言」「高野聖」「婦系図」「歌行灯」、戯曲「夜叉ヶ池」など。
泉斜汀は泉鏡花の弟。1933年(昭和8)に没。兄鏡花の指導で紅葉門下生となり、明治33年「監督喇叭」を発表。下町小説、狭斜小説を多く発表し、「木遺くづし」「離縁状」「廃屋」など。
Pic.泉鏡花・泉斜汀の墓
江戸家猫八から「雑司ヶ谷霊園に眠る有名人-2」に続きます。こちらもご覧ください。