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江戸東京ブログ

日比谷公園の首かけイチョウ

日比谷公園のぶらり歴史散歩

誰でも知っているし、一度は足を踏み入れたことがある日比谷公園。江戸以前は日比谷入江と呼ばれる海が広がっていました。神田山の開削で得られた土砂などを使って埋め立てられ大名屋敷が建てられました。現在でも日比谷公園の標高は銀座や霞ヶ関より1mほど低い。埋立て後も地盤が弱く、霞ヶ関のような煉瓦造りの近代建築は建ちませんでした。1902年(明治35年)に東京市の公園として開園しました。日本最初の洋風公園です。

江戸の痕跡はもちろん、近代の歴史も積層されている日比谷公園の中や周囲を探訪する歴史散歩です。

訪れた史跡は…

  

     

  • 丸の内警察署 日比谷公園前交番
  •  

  • 江戸城 日比谷見附跡
  •  

  • 伊達政宗終焉の地
  •  

  • 旧・日比谷公園事務所
  •  

  • ホセ・リサール博士像
  •  

  • 首賭けイチョウ
  •  

  • 鹿鳴館跡の碑
  •  

  • 日比谷公会堂と市政会館(レトロ建築)
  •  

  • 大岡越前守忠相 屋敷跡
  •   

日比谷公園は、東京街歩き 散歩コース&マップにはコース「D-1-05坂と歴史の町 霞ヶ関 虎ノ門」 に収録されています。

日比谷方面から日比谷公園を目指すと、入り口の交差点にある交番が真っ先に目に留まります。

丸の内警察署 日比谷公園前交番

建築家の横河健の設計により1986年に竣工したデザイン交番です。デザイン交番とは1982年東京都「文化のデザイン事業」に基づき、警視庁がその趣旨を反映させて建設した交番。通常は警視庁の技師が設計するところを、外部の建築家に委託して建設したということです。日比谷公園前交番はなんと1989年に東京建築賞都市計画局長賞を受賞し、横河健の代表作の一つともなっています。そのほかに大江戸線大門汐留駅、横河電機本社などを手掛けました。

丸の内警察署 日比谷公園前交番
Pic.丸の内警察署 日比谷公園前交番

丸の内警察署 日比谷公園前交番
Pic.丸の内警察署 日比谷公園前交番

公園入り口に入ってすぐ、石垣があります。日比谷見附跡です。

江戸城 日比谷見附跡

江戸城の見附は、見張り役の番兵が駐在する城門のことを言い、門の内側に番兵が滞在できる番所がありました。江戸城には36の見付があったといわれています。日比谷見附の実際の場所は、現在の日比谷交差点の位置でした。見附自体は明治初期に取り壊されましたが、石垣の一部が日比谷公園に移築されています。

江戸城 日比谷見附跡
Pic.江戸城 日比谷見附跡

江戸城 日比谷見附跡
Pic.江戸城 日比谷見附跡

伊達政宗終焉の地

この付近は仙台藩の伊達家上屋敷でした。伊達政宗は米沢で生まれ会津で覇権を争い仙台藩初代藩主地なりました。その伊達政宗の最期は江戸屋敷でした。徳川家光が自らこの地にあった伊達家屋敷へ見舞いに訪れたといいます。

伊達政宗終焉の地
Pic.伊達政宗終焉の地

旧・日比谷公園事務所

1910年(明治43年) の竣工の公園事務所は当時としては斬新なドイツ・バンガロー風の造りです。建物の外観変更はわずかで昔の姿をよく保つ明治期の数少ない近代洋風建築です。 設計は東京市の技師、福田重義。

旧・日比谷公園事務所
Pic.旧・日比谷公園事務所

旧・日比谷公園事務所
Pic.旧・日比谷公園事務所

日比谷交差点の公園入り口から日比谷通り沿いに歩くと胸像があります。

ホセ・リサール博士像

ホセ・リサール博士は、スペインからの独立運動に命を捧げた「フィリピン独立の父」国民的英雄です。1888年に現在の日比谷交差点付近にあった東京ホテルに滞在したことから、その場所に1961年に記念碑が設置されました。

ホセ・リサール博士像
Pic.ホセ・リサール博士像

ホセ・リサール博士像
Pic.ホセ・リサール博士像

公園中央へ歩き日比谷松本楼を目指します。

首賭けイチョウ

樹齢は400年、高さ:20mで幹周:6.5mといいわれている古木です。このイチョウは日比谷見附(現在の日比谷交差点)にあったもので、1901年(明治34年)道路拡張の際、じゃまになると伐採されようとしたのを、この公園の設計者であった本多静六博士が、「私の首を賭けても移植を」とイチョウを今の場所まで移動させたそうです。それで「首賭けイチョウ」と呼ばれています。

首賭けイチョウ
Pic.首賭けイチョウ

首賭けイチョウ
Pic.首賭けイチョウ

日比谷公園から出て、日比谷通りに沿って帝国ホテルを目指します。

鹿鳴館跡の碑

1883年(明治16年)、外務大臣であった井上馨が不平等条約の改正を早める目的で政府や貴族の社交場として建設。ジョ サイア・コンドルの設計。 NBF日比谷ビルと帝国ホテルとの境にめぐらされた塀に、「鹿鳴館跡」という証拠の碑が埋め込まれていました。塀の黒いプレートが「鹿鳴館跡」の碑で、鹿鳴館時代という言葉もあって有名な割には少なからず寂しい碑です。

鹿鳴館跡の碑
Pic.鹿鳴館跡の碑

日比谷公園に戻り、日比谷公会堂を目指します。

日比谷公会堂と市政会館(近代レトロ建築)

竣工は1929年(昭和4年)、設計は佐藤功一。「日比谷公会堂」「市政会館」は両者が一体となっている珍しい建築です。公園側から見ると日比谷公会堂で、道路側から見ると垂直線を強調した近代ゴシック建築の荘重にして優美な市政会館に驚かされます。外装は茶褐色タイル張りを基調とし、要所に石材と黄色テラコッタを配し、公園の景観と調和する高雅な色調と堅牢性の両立に成功しているといいます。日比谷公会堂は東京では事実上唯一のコンサートホールでした。開場式で新聞を破いた音が全員に聞こえたといいます。1960年の浅沼稲次郎暗殺事件の現場でもあります。現在、大規模改修工事中。

日比谷公会堂
Pic.日比谷公会堂

日比谷公会堂
Pic.日比谷公会堂

公園から出て、国会通りに周ると市政会館が姿を現します。

市政会館
Pic.市政会館

市政会館
Pic.市政会館

大岡越前守忠相 屋敷跡

1717年(享保2年)に8代将軍吉宗に江戸奉行に起用され、名奉行として公正で人情味ある裁きは広く伝わっていいます。町火消制度や小石川養成所の創設にも尽力し、大名にまで栄進しました。説明板は弁護士会館の敷地内にあります。

大岡越前守忠相 屋敷跡
Pic.大岡越前守忠相 屋敷跡

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