高輪を歩く-2
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
このブログは「高輪歩く-2」です。
高輪を中心に品川から三田に至る起伏のある台地の縁を歩き、今に残る名坂と史跡を辿ります。ブログ「高輪、三田の街歩きウォーキング 概要編」からの続きですので、参照してください。
今回、訪れた史跡は…
- 東禅寺 イギリス公使館
- 柴田錬三郎旧居
- 高輪海岸の石垣石(高輪ゲート ウェイ駅)
- 高輪大木戸跡
高輪のぶらり歴史散歩-1の旧高輪消防署から洞坂を通り東禅寺へ向かいます。
Pic.洞坂
東禅寺 イギリス公使館
イギリス公使のパークスは18年間に渡って駐在し外交をリードした。内政不干渉の立場ながら維新の志士たちとも積極的に接触しました。新政府軍の江戸城総攻撃に反対し江戸無血開城の一因となったとも言われています。
Pic.東禅寺入口のイギリス公使館跡の碑
Pic.東禅寺の本堂
攘夷派志士が襲撃した東禅寺事件出の刀傷や弾痕が奥書 院や玄関の柱に今でも残ってるというのですが、わかりませんでした。東禅寺には緒大名の墓群がありますが、墓地領域は非公開です。
桂坂を通り高輪ゲートウエイ駅方面へ下ります。
Pic.桂坂
柴田錬三郎旧居
歴史小説に新風を送ったことで業績は名高く、代表作に「眠狂四郎」など。昭和53年没で、当時の豪邸が当時のまま残っています。
Pic.柴田錬三郎旧居
高輪海岸の石垣石
1995年の発掘調査により、江戸時代に高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられた石が発見された場所です。
Pic.高輪海岸の石垣石
すぐ目の前の高輪ゲートウェイ駅の工事では大規模な高輪築堤跡が相次いで発掘されてニュースになりました。この高輪海岸の石垣石の価値がイマイチ下がってしまった感は否めません。
高輪ゲートウェイ駅は2019年に隈研吾の設計で竣工。 天井には白い天幕のような膜構造の大屋根が架かり、鉄骨と杉の集成材の梁によって折り紙を広げたような外観です。駅前の工事エリアで高輪築堤が相次いで発見されましたが、囲いがあって全く見えません。駅前はまだまだ更地状態で、ここの駅周辺の再開発の姿は当分見れそうもありません。
Pic.高輪ゲートウェイ駅と高輪築堤が相次いで発見された現場あたり
高輪大木戸跡
江戸時代中期に江戸の治安維持のため、柵状の門が設置されました。江戸の大木戸で現存する大木戸はここだけで、伊能忠敬が日本地図作成の測量の起点もこの大木戸でした。
Pic.高輪大木戸跡
Pic.高輪大木戸跡
Pic.高輪大木戸跡
ここから、また坂を上り泉岳寺へ向かいます。ブログ「泉岳寺 赤穂義士の墓」へ続きます。