高輪を歩く-1
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
このブログは「高輪を歩く-1」です。
高輪を中心に品川から三田に至る起伏のある台地の縁を歩き、今に残る名坂と史跡を辿ります。ブログ「高輪、三田の街歩きウォーキング 概要編」からの続きですので、参照してください。
今回、訪れた史跡は…
- カトリック高輪教会 江戸の殉教者顕彰碑
- 光福寺 ゆうれい地蔵
- 日本基督教団 高輪教会
- 大久保利通 高輪別邸跡
- 旧高輪消防署
カトリック高輪教会 江戸の殉教者顕彰碑
江戸の大殉教といわれ、迫害を受け殉教した人の慰霊碑があります。徳川家光はキリシタン迫害政策を強化し厳重にしました。1623年(元和9年)、宣教師を含む信者50名は小伝馬町の牢から江戸市中を引き回され火刑に処せられました。なお処刑された場所である三田には元和キリシタン遺跡があり、後ほど訪れます。
Pic.江戸の殉教者顕彰碑 (道路側から)
Pic.江戸の殉教者顕彰碑 (教会側から)
Pic.当時の様子を描いた絵図があります
ゆうれい地蔵 光福寺
この地蔵は品川沖からあがり、死んだ母親に代わって子どもを育てたという言い伝えがあり、「子安地蔵」として境内に祀られています。
ある飴屋に毎晩赤ん坊を連れた若い女性が飴を買いにきます。ある日母子の後をつけてみたところ、地蔵の前にたどりつきました。住職がこの地蔵を毎日供養すると、不思議なことに母子は現れなくなったということです。
昔からよくある飴買い幽霊の伝承話と結びつきゆうれい地蔵と呼ばれるようになったのは、地蔵がまるで岩から浮き出てきたような、ちょっと不気味な姿にみえるからでしょう。
Pic.ゆうれい地蔵 光福寺
Pic.ゆうれい地蔵 光福寺
日本基督教団 高輪教会
1932年(昭和7年)の竣工。フランク・ロイド・ライトの門下であった岡見健彦の設計。日本で最初に建てられたライト式建築の会堂です。1932年(昭和7年)の竣工。外観・内観ともに、柱・壁を組み合わせたシンプルな構成がレトロ建築というよりモダンな印象を受けます。
Pic.日本基督教団 高輪教会
Pic.日本基督教団 高輪教会
大久保利通 高輪別邸跡
この一帯は大久保山とも呼ばれ、主のいなくなった大名屋敷跡を利用して三万坪にも及ぶ大久保の別荘がありました。大久保利通を祀る祠がありますが、近くにはアクセスできませんので道路からの見学になります。
Pic.大久保利通 高輪別邸跡の祠
旧高輪消防署
1933年(昭和8年)の竣工。曲線や曲面をモチーフにしたデザインで、建物角に円形講堂、その上に望楼があるのが特徴的。 第一次世界大戦後に流行した「ドイツ表現派」の建築設計で、そのレトロな外観から地域のシンボル的な存在となっています。今も高輪消防署二本榎出張所として現役の消防署なのが驚きです。
Pic.旧高輪消防署
Pic.旧高輪消防署
Pic.旧高輪消防署の正面入口
Pic.東京都の歴史的建造物の銘板
このあと、洞坂を通り東禅寺へ向かいます。ブログ「高輪を歩く-2」へ続きます。