丸の内エリアの近代レトロ建築を巡る
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
丸の内一帯は元々は大名屋敷が建ち並ぶ地域で、その後草地になっていた土地を三菱が国から払い下げを受け、丸の内最初のオフィ スビルである三菱一号館を建設しました。これを皮切りに三菱を中心に赤煉瓦街が形成されオフィス街として発展し、日本の金融・経済の中心地となっています。 中心に位置する東京駅は、日露戦争終結後の1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年(大正3年)に開業しました。新橋駅と上野駅を結ぶ新線の中央停車場として皇居の正面に設定され、東京駅と命名されました。
東京の中心だけにオリジナルの建築のままの保存は難しく、低層部に一部保存したり、当時の建築のファサードを残した「腰巻ビル」も多く見られるのが特徴です。東京駅を中心に丸の内の明治、大正、昭和の近代レトロ建築の面影を探す街歩きです。
訪れた近代レトロ建築は…
- 東京駅丸の内駅舎
- 井上勝像と愛の像(アガペの像)
- 日本工業倶楽部会館
- 丸の内ビルディング・新丸の内ビルディング
- 東京中央郵便局
- 三菱一号館美術館
- 丸ノ内八重洲ビル(丸の内パークビルディング)
- 明治生命館
- 第一生命
東京レトロ街歩きガイド&マップのエリア別「Ar-01丸の内から銀座を歩く」、テーマ別 「Th-07今に残る近代レトロ建築」に収録されています。この中で丸の内に絞り、今に残る近代レトロ建築を巡ります。
東京駅丸の内駅舎
竣工は1914年(大正3年)、設計は日本銀行本店も設計した辰野金吾。辰野金吾は工部大学校(現・東京大学工学部)の第一期生として、鹿鳴館やニコライ堂、三菱一号館を設計したイギリスの建築家ジョサイア・コンドルから建築を学んでいました。豪壮華麗な洋式建築で南北にそれぞれドーム状の屋根があり、アムステルダム中央駅がモデルになったという説もあります。東京大空襲で被害に遭いましたが、その後の戦災復興工事が1945~1947年に行われました。その60年後、創建当時の姿に戻すための保存・復原工事が2007~2012年に行われ、現在は創建当時の姿に復原されています。
Pic.行幸通りから見た東京駅
Pic.東京駅丸の内駅舎
Pic.東京駅丸の内駅舎の正面
Pic.JPタワーより見た東京駅丸の内駅舎
駅前広場の左右には東京駅に向き合う形で二つの像が立っています。
井上勝像と愛の像(アガペの像)
東京駅の丸の内北口に立っています。新橋〜横浜間に初の鉄道開設を導いた大きな功績があり、鉄道庁長官などを歴任し日本の鉄道発展に貢献。「日本の鉄道の父」と称される井上勝の像です。1959年に朝倉文夫の制作。
Pic.井上勝像
東京駅に井上勝像と対をなすようにKITTE側に建つ愛の像(アガペの像)。男性が両手を広げた祈りの像。戦後、戦犯として捕まり、そして巣鴨プリズンにて刑死した人々の遺書をまとめた「世紀の遺書」の収益金で昭和30年に建立されました。
Pic.愛の像(アガペの像)
日本工業倶楽部会館
竣工年は1920年(大正9年)、松井貫太郎の設計。大正期らしいモダンな要素が盛り込まれています。再開発されましたが、建物の三分の一を残して、以前あった姿そのままに復元されています。日本における数少ないセセッション様式というの建物で、実業家の親睦を目的とした社交クラブの建物で、財界の記念碑的な存在です。
Pic.日本工業倶楽部会館
Pic.日本工業倶楽部会館
正面屋上には小倉右一郎作の二つの人像が置かれ、男性はハンマー、女性は糸巻きを手にし、当時の二大工業石炭と紡績を示しています。
Pic.日本工業倶楽部会館の屋上の像
丸の内ビルディング・新丸の内ビルディング
丸の内ビルディングの竣工は1923年(大正12年) 、設計は桜井小太郎。昭和戦前期で最大のビルであり、「東洋一のビル」といわれました。再開発で2002年に高層化し低層部に面影のみを残す高層ビルになりました。
新丸の内ビルディングの竣工は1952年(昭和27年)。規模も外観も丸ビルとそっくりで、行幸通りをはさんで左右対称の景観を作っていました。再開発で2007年に高層化し、丸ビルと同様に低層部に面影のみを残して高層ビルになりました。
Pic.1953年(昭和28年)当時の丸の内ビルディング・新丸の内ビルディング
写真の手前側が丸の内ビルディング、奥が新丸の内ビルディングです。面影があるかどうか…微妙ですが、イメージはそれなりに受け継いでいます。
Pic.丸の内ビルディング・新丸の内ビルディング
Pic.丸の内ビルディング・新丸の内ビルディング
東京中央郵便局
竣工は1931年(昭和6年)、設計は吉田鉄郎。2012年に再開発によりJPタワーになりましたが、旧東京中央郵便局の構造躯体はそのまま残す形で保存されています。 昭和初期のモダニズム建築を代表するビルです。
Pic.東京中央郵便局
Pic.東京中央郵便局
三菱一号館美術館
竣工年は1894年(明治27年)設計、ジョサイア・コンドルの設計。丸の内最初の洋風貸事務所ビルとして1894年(明治27年)に 建てられた旧三菱一号館です。これを2010年に美術館として復元、再建したものです。
Pic.三菱一号館美術館
Pic.三菱一号館美術館
三菱一号館に隣接して丸の内パークビルディングがあります。
丸ノ内八重洲ビル(丸の内パークビルディング)
丸ノ内八重洲ビルは1928年(昭和3年)竣工の貴重な近代建築であるため、日本建築家協会が保存要望書を三菱地所に提出していましたが、解体されてしまいました。その一部がファサード保存され丸の内パークビルディングの外壁として保存・活用されて当時の面影を残しています。
Pic.竣工当時の丸ノ内八重洲ビル
Pic.丸の内パークビルディング
Pic.丸の内パークビルディング
Pic.丸の内パークビルディング
三菱一号館からお濠端の日比谷通りに出ると、帝国劇場を挟んで明治生命館と第一生命があります。
明治生命館
竣工は1934年(昭和9年) 、岡田信一郎の設計。古典主義様式の最高傑作として高く評価されていました。戦後はGHQに接収されアメリカ極東空軍司令部として使用され ました。再開発でも建物の全面保存が実現しています。
Pic.明治生命館
第一生命
竣工は1938年(昭和13年) 、設計は渡辺仁。戦前の日本近代建築の金字塔的作品でした。終戦後は連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収されました。DNタワー21として再開発されましたが、外観は保存されて腰巻ビルとなっています。
Pic.第一生命
Pic.日比谷公園側から見た第一生命