江戸城を極める 千鳥ヶ淵から半蔵門へ
2024年7月、サイトのリニューアルに伴い加筆修正しました。
東京レトロ街歩きガイド&マップのテーマ別「Th-01江戸城を極める」を実際に歩きました。今回は千鳥ヶ淵から半蔵門、三宅坂を下って半蔵門、最高裁判所までの江戸城の濠や門、周辺の史跡、遺構を探訪しました。
訪れた場所は…
- 千鳥ケ淵戦没者墓苑
- 高射砲陣地跡
- 英国大使館
- 江戸城 半蔵門
- 三宅坂
- 渡辺崋山誕生地
- 平和の群像 (旧寺内正毅総理大臣像)
千鳥ケ淵戦没者墓苑
千鳥ケ淵戦没者墓苑は1959年(昭和34年)建設され、無名戦没者の遺骨を埋葬してある宗教宗派に属さない施設です。昭和28年より海外の遺骨収集が開始され、戦没者の遺骨370,108柱が納骨室に納められています。無名戦没者の墓であるとともに慰霊追悼のための施設になっています。よく靖国神社と対比される施設で、かつては無名戦士の墓と呼ばれていた記憶があります。宗教、政治色が薄く、かつ粛正な雰囲気もあって、もっと知られるべき施設だと思ってしまいます。
Pic.千鳥ケ淵戦没者墓苑
Pic.千鳥ケ淵戦没者墓苑の内部
Pic.千鳥ケ淵戦没者墓苑の石碑
高射砲陣地跡
戦争末期に空襲から皇居を防衛するために高射砲の陣地が築かれていました。その高射砲の砲台座7基が現存しています。知らなければ、あたかも公園のベンチのように見えます。ここの存在もほとんど知られていないためか、ちょっとした廃墟探索の気分になります。
Pic.高射砲台座の跡
Pic.高射砲台座の跡
英国大使館
竣工年:1930年(昭和5年) 設計:英国工務省。イギリスは明治政府とのつながりが深く、早くから江戸城に近い旗本水野兵部の屋敷跡を政府から永久に貸与されました。レンガ造だった建物が関東大震災により倒壊し、昭和初期に英国工務省の設計により鉄筋コンクリート造り、石貼りの現在の建物が建てられました。東京の大使館として建てられたものの中では唯一の戦前の建築です。
Pic.英国大使館
江戸城 半蔵門
空襲で旧来の門は焼失してしまい、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものです。隠居した先代将軍や将軍継嗣などの住居とされた吹上御庭に通じていました。この門は規制されて近づけません。
Pic.江戸城 半蔵門
三宅坂
田原藩三宅家の上屋敷がありました。三宅坂は皇居内堀に沿って続く緩やかな坂道で、江戸時代から景勝地として知られていました。個人的には、半蔵門から半蔵濠越しに日比谷方面を見下ろした景観は「東京のベスト景観」の一つだと思っています。
Pic.半蔵門から濠越しに日比谷方面を見た景観
渡辺崋山誕生地
渡辺崋山は江戸後期の画家、洋学者。この地にあった田原藩邸で生まれました。武士、画家であり、田原藩家老にまでなりました。高野長英らと尚歯会を結成して洋学を研究し、蛮社の獄に連座。国許に蟄居中に自殺しました。洋画に傾倒して独自の様式を確立、すぐれた肖像画を残しました。
Pic.渡辺崋山誕生地の案内板
平和の群像 (旧寺内正毅総理大臣像)
最高裁判所の一角になぜか台座に似合わない裸婦像が。戦後に電通が建立した広告功労者顕彰の記念碑ということです。この台座にはかつて寺内元帥騎馬像があり、後方には陸軍航空本部がありました。戦時中の金属回収で撤去されてしまったそうで残念です。
Pic.平和の群像
Pic.戦時中まであった寺内正毅総理大臣像