東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Ar-12 青山から神宮外苑を歩く

六本木駅から東京ミッドタウン、青山霊園を経て、明治神 宮外苑を抜けて信濃町駅まで歩きます。

推奨する街歩きの起点
六本木駅 外苑前駅 表参道駅 青山一丁目駅 信濃町駅

主なポイント抜粋

江戸史跡

滝沢馬琴終焉の地
73歳で馬琴は失明しながらも傾城水滸伝や近世説美少年録の執筆を続けましたが、完結しないまま、1848年(嘉永元年)、 82歳で死去しました。墓地は茗荷谷にあります。

近代遺構

乃木神社
乃木夫妻の忠誠心に感激した国民は次々と乃木邸を訪れたのを契機に1923年(大正12年)に乃木神社が創建されました。

旧乃木邸
マッカーサーの植樹
馬小屋
乃木大将と辻占売り少年像
1912年(大正元年)、明治天皇の大喪儀当日に乃木希典と妻・静子が自邸にて天皇に殉じて自刃しました。 連合国軍最高司令官マッカーサーは着任後、旧乃木邸に花水木を記念植樹し、乃木に敬意を表わしました。

志賀直哉旧居跡碑
この地で14歳から29歳までを過ごしました。裕福な家に生まれた直哉は広大な邸宅に住み、当時高価だった自転車を乗り回していたといいます。

齋藤茂吉歌碑
茂吉はこの地で養父が創設した病院の経営と診療に携わっていました。マンションの入口に「あかあかと一本の道通りた り ~」の歌碑があります。

歩一の碑
歩一とは陸軍第一師団歩兵第一連隊の略称で、226事件で多数の将兵が参加した部隊です。旧防衛庁から東京ミッドタウ ンに再開発され、碑が移築されました。

学徒出陣壮行の地碑
新国立競技場になって、正面A1ゲート近くに碑が戻って設置されました。1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系学生を徴兵し出征させました。旧国立競技場の前身の明治神宮外苑競技場で開催された映像は胸に迫るものがあります。

明治天皇大喪の礼葬場殿跡
1912年(明治45年)明治天皇が崩御しました。葬儀が青山練兵場で行われ、御柩車が置かれた葬場殿のあとです。中央の 大木は記念して植えられた楠の木です。

嘉納治五郎像
ピエール・ド・クーベルタン像
日本オリンピックミュージアムの前に二人の銅像が設置されています。

青山霊園
後藤象二郎 黒田清隆 中江兆民 池田勇人 乃木希典 志賀直哉 斎藤茂吉・茂太 大久保利通 尾崎紅葉忠犬ハチ公の碑 犬養毅 小村寿太郎 後藤新平 国木田独歩 北里柴三郎
にわか墓マイラーとなって、有名人の足跡に思いを馳せます。

近代レトロ建築

聖徳記念絵画館
竣工年:1926年(昭和元年)設計:小林正紹ほか。
神宮外苑の中心的な建物。建物中央にドームが置かれ、外壁には花崗岩が貼られるなど重厚な建物です。

旧赤坂仮皇居会食所 (明治記念館本館)
竣工年:1881年(明治14年) 設計:宮内省。
明治天皇が住まい としていた赤坂の仮皇居内に洋風接待を行う「御会食所」として建設され宮中外交の舞台でした。後に伊藤博文に下賜され「恩賜館」、さらに「憲法記念館」と変遷しました。

麻布歩兵第三連隊 兵舎跡
竣工年:1928年(昭和3年)。
旧東大生産 技術研究所として使われた旧兵舎は取壊され、一部が「国立新美術館別館」として保存されています。226事件で反乱将校らが出撃したことでも知られます。国立新美術館の中に兵舎のジオラマがあります。

現代建築

国立新美術館 (黒川紀章)
2006年竣工。
波のようにうねるガラスカーテンウォールが美しい曲線を描き、円錐形の正面入口とともに個性的な外観です。二・二六事件ゆかりの旧日本陸軍歩兵第三連隊駐屯地の跡地であり、兵舎が一部現存された別館があります。尚、黒川の生前に完成した最後の美術館です。

21_21DESIGN SIGHT(安藤忠雄)
2007年竣工。
折り曲げられた巨大な一枚の鉄板の屋根が地面に向かって傾斜する独創的な造形の低層建築です。

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