Ar-10 白金台から高輪を歩く
目黒駅の雅叙園周辺からオシャレな街、白金台、高輪を経て、品川駅まで歩きます。
推奨する街歩きの起点
目黒駅 白金台駅 高輪台駅 高輪ゲートウェイ駅 品川駅
主なポイント抜粋
江戸史跡
お七の井戸 (雅叙園入口)
恋人の吉増はお七の死刑後、僧侶となり念仏行に出かける前にこの井戸で水垢離をとったとされています。
大圓寺
とろけ地蔵
五百羅漢石仏群
江戸時代に漁師が海から引き上げたもので、悩み事をとろけさせてくれるありがたいお地蔵様。1772年の行人坂火事はこの大円寺が火元。石仏群はこの大火の犠牲者供養のために、50年をかけて完成といいます。
青木昆陽の墓 (瀧泉寺)
江戸時代中期の儒学者、蘭学者。薩摩から種イモを取り寄せて各地に配布し栽培方法を教え、サツマイモが関東一円に広
がるきっかけをつくりました。
ゆうれい地蔵 (光福寺)
「子安地蔵として信仰されている地蔵です。品川沖からあがったと言われるこの地蔵が、亡くなった母親の代わりに子ど もを育てたとの伝承があります。
イギリス公使館 (東禅寺)
18年間に渡って外交をリードしたパークスは内政不干渉の立場ながら維新の志士 たちとも積極的に接触しました。新政府 軍の江戸城総攻撃に反対し、江戸無血開城の一因となったとも言われています。
江戸の殉教者顕彰(カトリック高輪教会)
徳川家光はキリシタン迫害政策を強化し厳重にしました。1623年(元和9年)、宣教師を含む信者50名は小伝馬町の牢から江戸市中を引き回され火刑に処せられました。
近代遺構
福澤諭吉先生永眠の碑 (墓所跡)
1977年(昭和52)に善福寺に改葬されるまで福沢諭吉の墓がありました。諭吉の墓は本願寺が管理していた墓地に埋葬されました。ところが明治42年に常光寺が土地を譲り受け移転して常光寺の境内に入った経緯があります。この墓所の跡には義塾と縁の深い建築家谷口吉郎博士設計の記念碑が建っています。
明治学院大学 J.C.ヘボン 像
ヘボン塾を経て、1886年(明治19年)に 白金に「明治学院」を創設し初代総理に。和英・英和辞典を編纂し、いわゆる 「ヘボン式ローマ字」を作りました。
大久保利通 高輪別邸跡
この一帯は大久保山とも呼ばれ、主のいなくなった大名屋敷跡を利用して三万坪にも及ぶ大久保の別荘がありました。大 久保利通を祀る祠があります。
近代レトロ建築
明治学院大学 礼拝堂
竣工年:1916年(大正5年)設計:ヴォーリズ。
明治学院のシンボルでもある礼拝堂はヴォーリズ自身の結婚式に使われた名建築です。
明治学院大学 インブリー館
竣工年:1889年(明治22年)設計:片山東熊。
アメリカ木造住宅の様式で宣教師の住宅でした。都内の宣教師館では最古で、インブリー博士が長く住んでいました。
明治学院大学 記念館
竣工年:1890年(明治23年)設計:ランディス。
当時アメリカで流行したネオゴシック様式の総赤煉瓦、フランス瓦葺の2階建て。煉瓦と木造との連繋構造が美しい。
カトリック目黒教会
竣工年:1954年(昭和29年) 設計:A・レーモンド。
レーモンドは打放しコンクリートを世界で初めて使ったことで知られています。側壁の縦のスリットから入る柔らかい日射しは神聖さを表現しています。
東京都庭園美術館
竣工年:1933年(昭和8年)設計:ヘンリ・ラパン。
久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王が明治39年に創立した宮家。アール・デコ様式の粋を尽くした瀟洒な建物です。朝香宮一家が退去した後、吉田茂によって外務大臣公邸、白金プリンス迎賓館のちにプリンスホテル本社として使用されました。
東京大学 医科学研究所
竣工年:1923年(大正12年)設計:内田祥三。
ドイツ留学から帰国した北里柴三郎のために福澤諭吉が私財を投じて設立した研究所。時計台のあるゴシック様式です。
旧国立公衆衛生院
竣工年:1940年(昭和15年)設計:内田祥三。
いわゆる「内田ゴシック」の特徴が取り入れられ、城壁のような作りで、広範囲からその威容を見ることができました。
旧竹田宮邸洋館
竣工年:1911年(明治44年)設計:片山東熊。
陸軍軍人だった竹田宮恒久王の邸宅。天然スレート葺き屋根のルネサンス建築で、明治初期の近代建築の先駆けです。
日本基督教団 高輪教会
竣工年:1932年(昭和7年)設計:岡見健彦。
フランク・ロイド・ライトの門下であった岡見健彦の設計。日本で最初のライト式建築の会堂として知られています。
旧高輪消防署
竣工年:1933年(昭和8年)設計:越智操。
建物角部が円形で、その上の火の見櫓が特徴的。曲線や曲面をモチーフにしたデザイン。今も現役の消防署です。
都心に生きる古木
誕生八幡神社のイチョウ
樹齢:300年 高さ:15m 幹周:3m
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