Blog

江戸東京ブログ

善福寺

麻布十番のぶらり歴史散歩

このブログは「麻布十番のぶらり歴史散歩」です。
ブログ「広尾 麻布 六本木の歴史街歩きウォーキング 概要編」からの続きですので、参照してください。

広尾のぶらり歴史散歩に続き、六本木ヒルズから元麻布の韓国大使館を経て善福寺まで歩き、元に戻る形で麻布十番方面に歩きます。

訪れた史跡は…

  

     

  • 旧松方正熊邸 (レトロ建築)
  •  

  • 日本基督教団 安藤記念教会 (レトロ建築)
  •  

  • 真福寺 柳の井戸
  •  

  • 善福寺 福沢諭吉の墓所 初代アメリカ公使宿館跡 善福寺のイチョウ
  •  

  • 賢崇寺 二・二六事件青年将校二十二志の墓
  •   

麻布十番駅まで歩き、さらに暗闇坂を経て、一度見たら忘れないデザインで麻布のランドマークとなっている元麻布ヒルズフォレストタワーを目指します。

暗闇坂
Pic.暗闇坂

元麻布ヒルズフォレストタワー
Pic.元麻布ヒルズフォレストタワー

旧松方正熊邸(西町インターナショナルスクール)

竣工は1921年(大正10年)、設計は南部坂麻布教会はじめ数多くの教会建築を手掛けたヴォーリズ。明治の元勲松方正義の六男で大日本精糖を起こした松方正熊と家族が暮らした私邸でした。次女は後々駐日米国大使となるライシャワー博士と結婚したハル・ライシャワーです。現在は西町インターナショナルスクールとなっています。

旧松方正熊邸(西町インターナショナルスクール)
Pic.旧松方正熊邸(西町インターナショナルスクール)

旧松方正熊邸(西町インターナショナルスクール)
Pic.旧松方正熊邸(西町インターナショナルスクール)

アルゼンチン大使館を横目で見ながら少し歩くと日本基督教団 安藤記念教会があります。

日本基督教団 安藤記念教会

竣工は1917年(大正6年)、設計は吉武長一。明治維新後に上海やハワイの総領事として活躍した安藤太郎は自宅を寄付して教会を設立しました。礼拝堂は100年以上経った現在も建築当時の姿をそのまま残しています。

安藤記念教会
Pic.日本基督教団 安藤記念教会

安藤記念教会
Pic.日本基督教団 安藤記念教会

仙台坂を歩き、何故か警備の厳しい韓国大使館を横目で見ながら善福寺へ向かいます。

真福寺 柳の井戸

善福寺の参道にあります。弘法大師が鹿島の神に祈願をこめ、手に持っていた錫杖を地面に突きたてたところ、たちまち湧き水が噴出したということです。

柳の井戸
Pic.柳の井戸 真福寺

善福寺

善福寺は平安時代、空海が関東一円に真言宗を広めるために麻布山として開山した都内最古の寺院のひとつ。鎌倉時代には親鸞上人が越後から上洛の途中、善福寺に滞在しました。

善福寺
Pic.善福寺

親鸞聖人像

親鸞聖人像
Pic.親鸞聖人像

福沢諭吉の墓

福澤諭吉は1901年(明治34年)、66歳で没。三田の自宅(現慶應大学キャンパス内)で亡くなりました。墓は生前の希望もあって常光寺に設けられ、後の昭和52年に善福寺に改葬されました。

福沢諭吉の墓
Pic.福沢諭吉の墓

福沢諭吉の墓
Pic.福沢諭吉の墓

初代アメリカ公使宿館跡

開国時はアメリカの公使宿館は下田にありました。幕末の1859年(安政5年)に交わされた日米修好通商条約に基づき、善福寺はタウンゼント・ハリス以下の公使館員の宿舎となりました。その一室を初代アメリカ合衆国の公使宿館として使われたそうです。

初代アメリカ公使宿館跡
Pic.初代アメリカ公使宿館跡

初代アメリカ公使宿館跡
Pic.初代アメリカ公使宿館跡

善福寺のイチョウ

樹齢:750年 高さ:20m 幹周:10m。国指定の天然記念物で都内で最大のイチョウの古木です。親鸞が善福寺を訪れた際に地に挿した杖が芽吹いて成長したものといい、推定の樹齢は750年以上と言われています。国の天然記念物に指定されましたが、1945年(昭和20年)の空襲で幹の大部分を焼損したものの、樹勢を回復しました。「逆さイチョウ」とも呼ばれます。

善福寺のイチョウ
Pic.善福寺のイチョウ

善福寺のイチョウ
Pic.善福寺のイチョウ

善福寺のイチョウ
Pic.善福寺のイチョウ

越路吹雪の碑

墓群の入口を入ってすぐ右側に宝塚の往年の大スターでシャンソン歌手・越路吹雪の碑があります。越路吹雪とマネージャーで後の作詞家・岩谷時子の似顔絵が描かれ「愛の賛歌」の歌詞が刻まれています。

越路吹雪の碑
Pic.越路吹雪の碑

賢崇寺 二・二六事件青年将校二十二志の墓

1936年2月2日未明の青年将校達のクーデター未遂事件が勃発しました。反乱軍の首謀者は陸軍・皇道派で、うち2人の大尉は自決、残りの将校たち19人は軍法会議で死刑が宣告されて処刑されました。この墓は、その21人に、事件には直接関係がないものの、前年に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害して死刑が執行された相澤三郎中佐を加えた二十二士に由来するとされています。

二・二六事件青年将校二十二志の墓
Pic.二・二六事件青年将校二十二志の墓

再び麻布十番駅まで戻った形になり、さらに麻布狸穴、麻布台へ向かいます。「麻布台〜六本木一丁目」へ続きます。

関連記事