東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Th-13 隅田川の橋を渡る

江戸時代、隅田川には千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、吾妻橋がかかり隅田川五橋と呼ばれました。1657年(明暦3年)の振袖火事の教訓から両国橋が架けられました。さらに大震災の復興として言問橋、駒形橋、蔵前橋、清洲橋が新設されました。現在、隅田川には30以上の多様な橋が並び、さながら橋の博物館となっています。

主なポイント抜粋

千住宿奥の細道プチテラス
芭蕉生誕360年にあたり旧日光街道中の入口に「奥の細道」への旅立ちを記念して作られました。史跡ではありません。

奥の細道 矢立初めの地
芭蕉は1689年(元禄2年)に弟子の曾良を伴って千住宿に降り立ち陸奥へ旅立ちました。旅の始めの句を詠んだ場所です。

千住大橋
初:1594年(文禄3年)/現:1927年(昭和2年)竣工
徳川家康が江戸入府の間もない文禄3年に架橋された隅田川最初の橋でした。街道の要衝で千住宿が発展しました。

スサノオ神社 松尾芭蕉の碑
芭蕉も「奥の細道」への旅立ちの際に旅先の無事を祈願したといいます。

千住汐入大橋
初:ーー/現:2006年(平成18年)竣工
隅田川に架かる橋の中では比較的新しく、2006年(平成18年)に開通しました。

水神大橋
初:ーー/現:1989年(平成元年)竣工
水神の渡しという渡船場があった場所。汐入公園、東白鬚公園の防災拠点をつなぐ役割で架橋されました。

榎本武揚像
1913年(大正2年)に旧幕臣の提唱で晩年のゆかりの地の向島に建立されました。 大礼服姿で右手に帽子、左手にはサーベルを持つ堂々たる姿です。

白髭橋
初:1914年(大正3年)/現:1931年(昭和6年)竣工
通行料を取った木橋でしたが東京府が買い取り、震災後の復興事業の一環として現在の橋に架け替えられました。

明治天皇行幸對鴎荘遺蹟
対鷗荘は明治の政治家三条実美の別邸でした。太政大臣の実美は心労のあまり病に倒れ、明治6年に明治天皇は病床の実美を気使い、この邸を訪れました。

総泉寺 平賀源内の墓所
エレキテルなど発明家ですが、1779年に殺傷事件を起こし小伝馬町の牢内で獄死しました。

言問団子
植木師の外山佐吉が江戸時代末期に創業の老舗。古今和歌集にちなむもので、幸田露伴、野口雨情、竹久夢二など多くの文人が訪れていました。
墨堤植桜之碑
隅田川の堤を墨堤と呼び、江戸時代から花見の名所でした。桜が枯れ始め、明治16年に大倉喜八郎など有名人も加わり1000本の桜を植えた記念碑です。
長命寺
出羽三山の碑
長命寺桜もち 山本や
山形県の出羽三山に対する信仰を出羽三山信仰といい、都内でも希少な碑です。

桜橋
双鶴飛天の図
初:ーー/現:1985年(昭和60年)竣工
隅田川唯一の歩行者専用で、X字の特異な形で両岸の隅田公園を結んでいます。

言問橋
空襲で焼け焦げた黒い部分
初:ーー/現:1928年(昭和3年)竣工
大震災の復興で昭和3年に架けられました。両岸の復興公園の隅田公園を結んでいます。東京大空襲では多くの方が亡くなられ、焼けた痕跡が今でも残っています。

牛嶋神社 なで牛
境内には牛の像があり、自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられています。葛飾北斎の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」があったが、関東大震災で現物は焼失。色彩の推定復元が行われ、すみだ北斎美術館にて展示されています。また、三ツ鳥居と呼ばれる珍しい鳥居があります。

吾妻橋
初:1774年(安永3年)/現:1931年(昭和6年)竣工
江戸五橋5番目の橋。幾度か流され関東大震災の復旧事業として、現在の吾妻橋が架橋されました。

勝海舟像
幕臣でありながら、その思想や知識は深く、坂本龍馬や西郷隆盛といった維新の英雄にも大きな影響を与えました。

駒形橋
初:ーー/現:1927年(昭和2年)竣工
関東大震災後の復興計画により現在の橋がはじめて架橋された。それまでは駒形の渡しがあった場所です。

廐橋
初:1874年(明治7年)/現:1929年(昭和4年)竣工
御廐の渡しのあった場所。最初は民間のより架橋され、東京府の震災復興計画により現在の橋が架橋されました。

蔵前橋
初:ーー/現:1927年(昭和2年)竣工
富士見の渡しの渡船場があった場所。震災復興計画により現在の橋が架橋されました。力士のレリーフがあります。
浅草御蔵跡碑
蔵前橋の碑
首尾の松跡碑

両国橋
初:1659年(万治2年)/現:1932年(昭和7年)竣工
隅田川に2番目に架橋された橋。下総国との境にあったことから両国橋と呼ばれる。柱部など装飾に凝った作りです。
表忠碑
石尊垢離場跡
旧跡両国広小路

両国大橋
初:ーー/現:1969年(昭和44年)竣工
6号向島線と7号小松川線の首都高速道路専用の橋です。

新大橋
初:1694年(元禄6年)/現:1977年(昭和52年)竣工
隅田川3番目の橋。芭蕉、広重が題材にしています。震災で唯一被災せず「人助け橋」と呼ばれました。

江東区芭蕉記念館
芭蕉ゆかりの地に開館しました。発見された芭蕉遺愛の石蛙など、芭蕉に関するものが展示されています。
芭蕉庵史跡展望庭園
隅田川と小名木川に接し隅田川を一望する開けた景色が展望できます。松尾芭蕉の座像があります。夜は座像が回転しライトアップされます。
芭蕉稲荷神社
この地が芭蕉庵跡、「芭蕉翁古池の跡」とされている。御神体は石蛙。この芭蕉庵を拠点に「奥の細道」を残しました。

川船番所跡
幕府により設けられた番所で、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。
ケルンの眺め碑
清洲橋はケルン市に架けられた吊り橋をモデルにしていて、ここからの清洲橋の眺めが一番美しいといいます。

萬年橋 (小名木川)
初:1680年(延宝8年)/現:1930年(昭和5年)竣工
番外で小名木川にかかる橋です。北斎、広重に描かれ、芭蕉が居を構えました。赤穂浪士が渡った橋でもあります。

清洲橋
初:ーー/現:1928年(昭和3年)竣工
清澄と日本橋中洲からの命名。ドイツのケルン市の橋をモデルにした優美なデザインで、重要文化財に指定されました。震災復興事業として永代橋と共に計画された橋。永代橋と対になるような設計で震災復興の華とも呼ばれました。

平賀源内電気実験の地
1776年(安永5年)、源内は破損したエレキテルを長崎で入手し、この地で日本で初めてエレキテルの復元修理に成功しました。予備知識はなかったといいます。

日本銀行創業の地
日本銀行は明治15年、この地で創業。明治29年に現在地の日本橋へ移転しました。

永代橋
初:1698年(元禄11年)/現:1926年(大正15年)竣工
隅田川5橋の4番目の橋。赤穂浪士も渡り、史上最悪の落橋事故も起こしました。震災復興で現在の橋になりました。

赤穂義士休息の地碑
引き上げの際は吉良、上杉側の追っ手を警戒して両国橋を渡らず万年橋を通り永代橋で市中に入りました。

明治丸
明治丸は英国で建造され明治7年に竣工した鉄船。日本の近代化の重要な場面で活躍しました。重要文化財に指定され東京海洋大学内に保存されています。
明治天皇聖蹟の碑
明治天皇の天覧を記念して建立された碑。明治期の越中島は陸軍練兵場となっており、この地を4回訪問されました。

相生橋
初:1903年(明治36年)/現:1998年(平成10年)竣工
新たに築造された月島は工業地区として発展。築地や深川からのアクセスは渡ししかなかったために架橋されました。

中央大橋
メッセンジャー像
初:ーー/現:1993年(平成5年)竣工
平成に架けられた橋。日仏友好により仏のデザイン会社が設計、主塔および欄干に日本の兜を意識したデザインです。

江戸湾開港の地
幕末に横浜が国際貿易港として開港したのに対して、東京の開港は遅れて1941年に開港されました。

住吉神社 鰹塚
佃小橋
鰹節問屋は江戸時代から住吉神社を事業繁栄の守護神として信奉してきました。塚は昭和28年に建立されました。

町屋 小沢家住宅
佃島渡船場跡之碑
佃煮 天安
佃と言えば佃煮。この一角は大正、昭和初期の佃の面影を現在まで残しています。

佃大橋
初:ーー/現:1964年(昭和39年)竣工
320余年続いた佃の渡しの位置に架けられた橋。1964年東京オリンピックのため戦後初めて隅田川に架橋された橋です。
佃島渡船場跡之碑

シーボルト 像
江戸蘭学発祥の地であり、シーボルトの貢献は大でした。築地は娘いねが産院を開業した地でもあり、また明治初期に外国人居留地がありました。

町屋 亀屋
町屋 前野畳店
町屋 北村家ほか
看板建築 乾電機
この一帯は東京大空襲による焼失を免れた町屋や看板建築が現在でも点在しています。

勝鬨橋
初:ーー/現:1940年(昭和15年)竣工
日露戦争の祝勝を契機に可動橋として設計されました。都電も通行していました。重要文化財に指定。
かちどき橋の資料館

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