東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Th-07 今に残る近代レトロ建築

東京は関東大震災、そして戦争中の東京大空襲により、貴重な建築が多く失われてしまいました。しかし、震災、戦災を生き延びた建築がまだ随所に現存しています。日々変貌している東京の中にレトロ建築を探索します。

主なポイント抜粋

日本橋 日比谷 銀座 築地

ハリオグラスビル
竣工年:1932年(昭和7年)
外観は明治~昭和初期の銀行建築に見られる西欧古典主義様式によるデザイン。最初は川崎貯蓄銀行富沢町支店として建設されました。

日本銀行 本店
竣工年:1896年(明治29年) 設計:辰野金吾
ネオ・バロック様式のベルギー国立銀行を参考に設計。日本人建築家が手掛けた最初の西洋近代建築の国家的プロジェクトでした。

三井本館
竣工年:1929年(昭和4年)設計:米国設計事務所
新古典主義様式の建物外壁は花崗岩で仕上げられ、ファサードは列柱を整然と並べ、当初から関東大震災の2倍の地震にも耐えることができるように作られました。

日本橋三越本店
竣工年:1927年(昭和2年) 設計:横河民輔
ルネッサンス式建築の威容を誇り、当時は「国会議事堂」「丸ビル」に次ぐ大建築物でした。ライオン像はロンドンのトラファルガー広場にある像がモデル。

日本橋野村ビルディング
竣工年:1930年(昭和5年) 設計:安井武雄
野村コンツエルンの東京進出の拠点として建てられました。建物足元と頭を軽く中間を重くし、ダイナミック・シンメトリーと言われる設計手法がデザインの特徴になっています。

三菱倉庫
竣工年:1930年(昭和5年)
船体を連想させる特徴的な外観を持ち、表現派風建築の代表的作品でした。2014年、再開発による保存のため、いわゆる腰巻ビルになっています。

日証館
竣工年:1928年(昭和3年) 設計:横河民輔
震災後、渋沢栄一邸の跡地に建設されました。戦後、東京証券取引所が設立される昭和24年まで、日証館1階の事務所で集団取引が行われたそうです。

山二証券
竣工年:1936年(昭和11年) 設計:西村好時
金融関係の建物ではまず採用されないユニークなスパニッシュ様式です。山二証券は大手から見ればごく小さな会社で、明治44年創業という老舗で永井荷風が顧客とか。

日本橋高島屋
竣工年:1933年(昭和8年) 設計:高橋貞太郎ほか
竣工当時の名称は「日本生命館」でした。外観は西洋式のルネサンス風に和風も取り入れた様式で、全館冷暖房完備というのも当時としては画期的でした。

鈴木ビル
竣工年:1929年(昭和4年) 設計:山中節治
上部の窓は馬蹄形、その他の窓はデザインが異なっているのが特徴。当時は公演などの貸しスペースだったようです。

奥野ビル
竣工年:1932年(昭和7年) 設計:川元良一
旧名「銀座アパートメント」で銀座屈指の高級アパートでした。2つの建物が左右対称に連結しており、新館の右側は1934年に完成しました。

米井ビル
竣工年:1929年(昭和4年) 設計:森山松之助
上層階は直線を強調したオフィスビルで現代的な外観ですが、1階部分は中世ロマネスク様式。石貼の外壁に配された大小のアーチ窓には螺旋模様が施されています。

和光時計台
竣工年:1932年(昭和7年) 設計:渡辺仁
旧服部時計店。銀座を代表するビル。基礎工事にかかった直後に大震災hが発生、構造は鉄骨鉄筋コンクリート、外壁は強靭な御影石へと変更されました。

中央区立泰明小学校
竣工年:1929年(昭和4年)
関東大震災後のいわゆる復興小学校と呼ばれる建築です。空襲にも耐えて、校舎の壁にはツタが絡み、表現主義と呼ばれる建築様式のアーチ窓などの特徴があります。

日本工業倶楽部
竣工年:1920年(大正9年)設計:松井貫太郎
大正期らしいモダンな要素が盛り込まれています。再開発されましたが、建物の三分の一を残して、以前あった姿そのままに復元されました。

東京駅
竣工年:1914年(大正3年) 設計:辰野金吾
豪壮華麗な洋式建築で南北にそれぞれドーム状の屋根があり、アムステルダム中央駅がモデルになったという説もあります。2012年に復元、補強工事を行いました。

東京中央郵便局
竣工年:1931年(昭和6年) 設計:吉田鉄郎
2012年に再開発によりJPタワーになりましたが、旧東京中央郵便局の構造躯体はそのまま残す形で保存されています。 昭和初期のモダニズム建築を代表するビルです。

三菱一号館美術館
竣工年:1894年(明治27年)設計:ジョサイア・コンドル
丸の内最初の洋風貸事務所ビルとして1894年(明治27年)に建てられた旧三菱一号館です。これを2010年に美術館として復元、再建したものです。

明治生命館
竣工年:1934年(昭和9年) 設計:岡田信一郎
古典主義様式の最高傑作として高く評価されていました。戦後はGHQに接収されアメリカ極東空軍司令部として使用されました。再開発でも建物の全面保存が実現しています。

旧第一生命(GHQ)
竣工年:1938年(昭和13年) 設計:渡辺仁
戦前の日本近代建築の金字塔的作品でした。終戦後は連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収されました。DNタワー21として再開発されましたが、外観は保存されています。

築地本願寺
竣工年:1934年(昭和9年) 設計:伊東忠太。
震災後にインドの古代仏教建築の外観、内部は日本の伝統的意匠の独自のユニークな建築様式を作り出しています。

聖路加国際病院トイスラー記念館
竣工年:1933年(昭和8年) 設計:バーガミニー
聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。ハーフティンバー風の西洋風住宅で、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物です。

カトリック築地教会
竣工年:1927年(昭和2年) 設計:ジロジアス神父
関東大震災で聖堂が焼失・倒壊。再建された聖堂は古代ギリシアのドーリア式神殿を忠実に模して木造モルタル造にて建設されています。なお、旧聖堂時代の石膏の聖ペトロ像は震災の被害を免れて現在も安置されている。

宮川食鳥鶏卵
築年:不詳 銅板貼り看板建築
角地に建ち、角を切り落として入り口にした3階建ての銅板貼り看板建築で、パラペットのデザインもユニークです。

酒蔵 秩父錦
築年:1927年(昭和2年) 町屋
典型的な町家の構えを良く残しています。銀座に残る数少ない町家建築です。

佃煮 天安
築年:昭和初期 町屋
1837年(天保8年)の創業。昭和初期の木造建築で、日除けの太鼓暖簾も人気です。

霞ヶ関 赤坂 神田 九段

日比谷公会堂
竣工年:1929年(昭和4年) 設計:佐藤功一
東京では事実上唯一のコンサートホールでした。開場式で新聞を破いた音が全員に聞こえたといいます。1960年の浅沼稲次郎暗殺事件の現場です。現在、大規模改修工事中。

旧日比谷公園事務所
竣工年:1910年(明治43年) 設計:福田重義
洋式の公園に相応しいよう、当時としては斬新なドイツ・バンガロー風の瀟洒な造りです。建物の構造や外観変更はわずかで昔の姿をよく保つ明治期の数少ない近代洋風建築です。

法務省旧本館 赤れんが棟
竣工年:1895年(明治28年) 設計:エンデ&ベックマン
明治政府は西洋式の建築による官庁集中計画により建てられました。空襲で消失しましたが戦後に改修され、さらに平成6年に創建当時の姿に復元されました。

trong>旧・大蔵省
竣工年:1939年(昭和14年)
文部省庁舎と同じく大蔵省営繕管財局の設計ですが、戦争の世情もあり極めて地味な外観となっています。

旧・文部省
竣工年:1933年(昭和8年)
霞が関官庁街における震災復興庁舎。2007年の再開発により霞が関コモンゲートの一部として、旧建物は部分的に保存されています。

旧・帝国議会議事堂
竣工年:1936年(昭和11年) 設計:臨時議院建築局
議事堂の建設は遅延を繰り返し、着工から実に17年を経て竣工しました。完成が近づいた1936年には226事件が発生しています。左右対称形で、左側に衆議院、右側に参議院(旧 貴族院)が配置されています。

湯島聖堂
竣工年:1935年(昭和10年) 文部省、伊東忠太
寛政9年、幕府直轄学校として昌平坂学問所が開設されました。維新後も学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地となりました。関東大震災で焼失し、寛政時代を模した鉄筋コンクリート造りで昭和10年に再建を果たしました。

東京復活大聖堂 (ニコライ堂)
竣工年:1891年(明治24年) 設計:ジョサイア・コンドル
緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴で、日本で初めてにして最大級のビザンティン様式の教会建築といわれています。関東大震災で大きな被害を受けた後、現在の姿は1929年に修復されたものです。

山の上ホテル
竣工年:1936年(昭和11年)設計:W・M・ヴォーリズ
ホテルは昭和29年の開業で、本館の建物はアール・デコ調のクラシカルな内外装が特徴です。出版社の多い神田に近いところから、作家の滞在やカンヅメに使われることが多く、そのため「文化人のホテル」として知られています。

カトリック神田教会
竣工年:1928年(昭和3年) 設計:マックス・ヒンデル
東京においてキリシタン禁教の解禁後に早い段階から日本人のために開かれていた教会です。震災により焼失しましたが、現在の聖堂が再建され、空襲も免れて現存しています。

学士会館
竣工年:1928年(昭和3年) 設計:佐野利器
震災後に建築された震災復興建築です。外壁が昭和初期に流行したスクラッチタイルで覆われた、当時では珍しい耐震・耐火の造りとなっています。新館は昭和12年に増築。

旧近衛師団司令部庁舎
竣工年:1910年(明治43年) 設計:田村鎮
二階建て赤レンガ造りの建物は八角形の塔屋があり、スレート葺き屋根の簡素なゴシック様式。レンガ造りの官庁建築が消滅していくなか、当時の形態が残されいる数少ない明治洋風建築です。北白川宮能久親王の騎馬像も必見です。

英国大使館
竣工年:1930年(昭和5年) 設計:英国工務省
明治政府から永久に貸与されることとなった大名屋敷跡に建てられました。東京の大使館として建てられたものの中では唯一の戦前以来の建築です。

旧日本神学校 (東京ルーテルセンタ)
竣工年:1937年(昭和12年) 設計:長谷部鋭吉
キリスト教の牧師を養成する学校として建てられたものです。外観はとてもシンプルなもので、外壁も修復されて古さは感じられません。

旧東京物理学校
竣工年:1906年(明治36年)
現在の東京理科大学の前身です。漱石の小説「坊つちやん」の主人公は東京物理学校を卒業しています。1991年に外観の復元工事が行われました。

金田一京助・春彦の旧居跡
築年:不詳
金田一京助、長男の春彦は明治から現在まで代表する言語学者の親子です。春彦はここで生まれました。大正時代に住んでいた旧居が現存しています。

旧伊勢屋質店
築年:1890年(明治23年)
一葉が通った伊勢屋質店があります。現在は廃業していますが、土蔵はそのまま残り、当時を偲ばせます。

大亜堂書店
築年:昭和初期
昭和7年より現在の店舗にて営業している古書店。震災後の看板建築の典型で壁のスクラッチタイルと左書きのブリキ看板が目印となっています。

棚沢書店
築年:明治中期
明治の中期、洋品店舗として建築され、震災、その後の空襲においても被害を受けませんでした。当時の東京大学周辺の商家の町並み景観を伝える建物です。
万定フルーツパーラー
築年:1928年(昭和3年) 看板建築

神田まつや (そば老舗)
築年:1925年(大正14年) 木造2階建
ぼたん (すき焼き老舗)
築年:1929年(昭和4年)
あんこう鍋いせ源本館
築年:1932年(昭和7年) 木造3階建
竹むら (和菓子店)
築年:1930年(昭和5年) 木造3階建

新宿 目黒 白金台 品川

小笠原伯爵邸
竣工年:1927年(昭和2年) 設計:曾禰中條
旧小倉藩藩主の伯爵小笠原長幹の邸宅として、当時流行のスパニッシュ様式で建てられました。建物自体は東京都の所有で、現在レストランとして使われています。

新宿御苑(有料)
信濃高遠藩内藤家の下屋敷の敷地でした。1879年(明治12年)宮内省の管理する「新宿植物御苑」、次いで1906年に「新宿御苑」として開園しました。
旧新宿門衛所 大木戸門守衛所
竣工年:不詳(昭和2年)
御苑の歴史的・景観的価値が評価されている建造物です。空襲からも免れ、新宿御苑が皇室御料地であったことを覗わせるたいへん貴重な建物です。
旧洋館 御休所
竣工年:1896年(明治29年) 設計:小林正紹ほか
天皇や皇族の休憩所として作られ、大正にはクラブハウスとして使用されました。19世紀後半にアメリカで流行したスティックスタイルを基調とした希少な洋風木造建築です。
旧御凉亭
竣工年:1927年(昭和2年) 設計:森山松之助
昭和天皇のご成婚を記念して台湾在住邦人の有志により建てられました。屋根の形や瓦の色、内部の装飾などに中国南方地方の建築様式が取り入れられています。

慶應大学 予防医学校舎
竣工年:1929年(昭和4年) 設計:曾禰中條
「慶應義塾大學豫防醫學敎室」と旧字体の文字が貼られたレトロ感ある建物です。地上四階地下一階からなるアール・デコ調建築。慶応と縁の深い曽祢中条の設計です。
慶應大学 北里記念医学図書館
竣工年:1937年(昭和12年) 設計:和田順顕
初代医学部長、北里柴三郎の遺志を汲んで建てられました。現在は信濃町メディアセンターと改称され、3連アーチの玄関ポーチが外観の大きな特徴になっています。

聖徳記念絵画館(有料)
竣工年:1926年(昭和元年) 設計:小林正紹ほか
神宮外苑の中心的な建物。建物中央にドームが置かれ、外壁には花崗岩が貼られるなど重厚な建物です。簡略化された細部の装飾デザインなどは大正期竣工の建物ならではのモダンさを兼ね備えています。

旧山田守邸
竣工年:1959年(昭和36年) 設計:山田守
山田守は電話局や、京都タワー、武道館も設計した建築家。 65歳で初めての自邸を自ら設計しました。水平を強調する薄い庇や軒が特徴で、現在は蔦サロンとなっています。

旧千葉常五郎邸
竣工年:1934年(昭和9年) 設計:黒川仁三
都心に残る希少な戦前のアール・デコ様式の大規模邸宅です。千葉常五郎という実業家の旧邸だったそうです。現在は会員制のレストランとなっています。

温故学会会館
竣工年:1927年(昭和2年)
温故学会は塙保己一の業績を顕彰するため明治42年に渋沢栄一らにより設立されました。正背面にバットレスが立ち並び、中央に円形玄関ポーチが張り出すデザインが特徴です。

日本基督教団 麻布南部坂教会
竣工年:1924年(大正13年) 設計:ヴォーリズ
設計は宣教師として来日したヴォーリズ。メンソレータムの近江兄弟社を設立した人です。坂道という立地を活かし、坂下からは礼拝堂の大きなアーチを望むことができます。

日本基督教団 安藤記念教会
竣工年:1917年(大正6年) 設計:吉武長一
明治維新後に上海やハワイの総領事として活躍した安藤太郎は自宅を寄付して教会を設立しました。礼拝堂は100年以上経った現在も建築当時の姿をそのまま残しています。

旧松方正熊邸 (西町インターナショナルスクール)
竣工年:1921年(大正10年) 設計:ヴォーリズ
明治の元勲松方正義の六男で大日本精糖を起こした松方正熊と家族が暮らした私邸でした。次女は後々駐日米国大使となるライシャワー博士と結婚したハル・ライシャワーです。現在は西町インターナショナルスクールとなっています。

明治学院大学 礼拝堂
竣工年:1916年(大正5年) 設計:ヴォーリズ
明治学院のシンボルでもある礼拝堂は、ヴォーリズによる設計でヴォーリズ自身の結婚式に使われたことでも知られる名建築です。昭和6年に両袖の増築工事が行われました。
明治学院大学 インブリー館
竣工年:1889年(明治22年) 設計:片山東熊
明治学院が開校した際、アメリカ木造住宅の様式で宣教師用の住宅が建てられました。都内に残る宣教師館では最古で、長く住んだインブリー博士の名にちなんでいます。
明治学院大学 記念館
竣工年:1890年(明治23年) 設計:ランディス
当時アメリカで流行したネオゴシック様式の総赤煉瓦、フランス瓦葺の2階建てで、神学部と学院の図書館が置かれました。2階が木造に改築されて煉瓦と木造との連繋構造が美しい建物となりました。
状況により大学構内に入場できない場合がありますが、道路からで も、礼拝堂、インブリー館、記念館とも垣間見ることはできます。

日本基督教団 高輪教会
竣工年:1932年(昭和7年) 設計:岡見健彦
旧帝国ホテルの設計者として有名なフランク・ロイド・ライトの門下であった岡見健彦の設計。日本で最初に建てられたライト式建築の会堂として知られています。

旧高輪消防署
竣工年:1933年(昭和8年) 設計:越智操
建物角部が円形で、その上の鉄筋コンクリート造りの火の見櫓が特徴的。曲線や曲面をモチーフにしたデザインで、第一次大戦後に流行したドイツ表現派というそうです。今も現役の消防署なのが驚きです。

旧竹田宮邸洋館
竣工年:1911年(明治44年) 設計:片山東熊
北白川宮能久親王の第1王子で陸軍軍人だった竹田宮恒久王の邸宅として建てられました。天然スレート葺き屋根にドーマーウィンドウのあるルネサンス建築。日本の明治初期における近代建築の先駆けです。

東京都庭園美術館(旧朝香宮邸) (有料)
竣工年:1933年(昭和8年) 設計:ヘンリ・ラパン
朝香宮家は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王が明治39年に創立した宮家です。アール・デコ様式の粋を尽くした瀟洒な建物です。朝香宮一家が退去した後、吉田茂によって外務大臣公邸 、白金プリンス迎賓館のちにプリンスホテルの本社として使用され、東京都に売却されました。

東京大学 医科学研究所
竣工年:1923年(大正12年) 設計:内田祥三
起源はドイツ留学から帰国した北里柴三郎のために福澤諭吉が私財を投じて設立した研究所。時計台のあるゴシック様式で、大震災のすぐあとに内田祥三が設計したものです。
旧国立公衆衛生院
竣工年:1940年(昭和15年) 設計:内田祥三
いわゆる「内田ゴシック」の特徴が取り入れられ、城壁のような作りです。白金台の高台に位置し広範囲からその威容を視認することができました。

上野 本郷 小石川 池袋

上野駅
竣工年:1932年(昭和7年) 設計:鉄道省
震災で初代駅舎が焼失し、昭和7年に2代目の駅舎が落成、外壁は多胡石と小松石が入ったモルタル塗りでした。大正14年に山手線の環状運転が始まり、東北・常磐など長距離幹線を接続する東京の北の玄関口として機能しました。

国立西洋美術館
竣工年:1959年(昭和34年) 設計:ル・コルビジェ
美術館は松方コレクションを基としてに設立されました。設計はル・コルビュジエ、弟子の前川國男らが協力し完成しました。ル・コルビュジエの作品として世界文化遺産に登録。

国立科学博物館
竣工年:1931年(昭和6年) 設計:文部省小倉強
自然史・科学技術史に関する国立の唯一の総合科学博物館。威風堂々としたネオ・ルネサンス様式の建築で、御影石と茶色いスクラッチタイルで仕上げられている。上空から見ると飛行機の形になっています。

旧東京音楽学校奏楽堂
竣工年:1890年(明治23年)設計:山口半六
日本で最初に建てられた本格的な西洋式音楽ホールとされていて、卒業生の瀧廉太郎の銅像が設置されています。ホール中央部天井をヴォールト状にするなど音響への配慮、遮音への配慮がなされています。

東京国立博物館 本館
竣工年:1937年(昭和12年) 設計:渡辺仁
1872年(明治5年)に創設された日本最古の博物館。コンドル設計の旧館が震災で大破、建て替えられました。日本伝統の木造建築を鉄筋コンクリートに置き換えた和洋折衷建築となっています。

東京国立博物館 表慶館
竣工年:1908年(明治41年) 設計:片山東熊
大正天皇の成婚を祝う目的で開館した石造および煉瓦造2階建てのネオ・バロック様式の建物です。中央と南北両端にドームがあり、正面入口左右のライオン像は大熊氏廣の作です。

日本基督教団 根津教会
竣工年:1919年(大正8年) 設計:PS・メイヤー
本郷福音教会として建立されました。木造平屋建て切妻造で、外壁は下見板張りです。トンガリ屋根の角塔がランドマークとなっています。

郁文堂
竣工年:1923年(大正12年)
日本晝夜銀行本郷支店として建築されました。震災でも損傷なく、空襲の際も被害が軽微であり、大正当時のままの姿をとどめています。

旧岩崎邸
岩崎家茅町本邸 撞球室
竣工年:1896年(明治29年)設計:ジョサイア・コンドル
岩崎家の迎賓館として用いられた西洋館です。木造2階建、屋根はスレート葺き、外壁は下見板張り。装飾性が強く、ジャコビアン様式を基調としつつ、ベランダにはコンドルが得意としたコロニアル様式がよく表れています。

旧古河邸 大谷美術館(有料)
竣工年:1917年(大正6年)設計:ジョサイア・コンドル
古河財閥3代当主の古河虎之助が邸宅として整備。外観はスコティッシュ・バロニアル様式を目指したとされます。左右対称で両脇に切妻屋根を据え、スコットランドの山荘の風情、東京のバラの名所として親しまれています。

渋沢栄一旧飛鳥山邸跡(有料)
青淵文庫
竣工年:1925年(大正14年)設計:中村・田辺事務所
渋沢栄一の傘寿と子爵昇爵を祝って贈られた2階建ての書庫です。外壁は石貼り、テラスに面した窓の上部はステンドガラスで飾られています。「青淵」は渋沢栄一の号です。
晩香廬
竣工年:1917年(大正6年) 設計:田辺淳吉
渋沢栄一の喜寿を記念して清水組から贈られた木造の洋風茶室です。様々な建築様式を取り混ぜ趣向を凝らした小建築で、賓客の接待に用いられました。

自由学園 明日館(有料)
竣工年:1921年(大正10年)設計:フランク・ロイド・ライト
羽仁もと子、吉一夫妻が創立した自由学園の校舎として巨匠フランク・ロイド・ライト、その弟子の遠藤新の設計により建設されました。中央棟、講堂など4棟で構成。すでに学園は移転し、内部を含め公開されています。

日本聖公会 目白聖公会
竣工年:1929年(昭和4年) 設計:坪井正太郎
英国国教会と関わりの深い一派である日本聖公会に属します。美しいロマネスク様式の建物は戦災による焼失を免れ、東京にある聖公会の中で唯一の戦前からある教会です。

日本バプテスト 目白ヶ丘教会
竣工年:1950年(昭和25年) 設計:遠藤新
バプテストはキリスト教プロテスタント最大の教派です。礼拝堂は遠藤新の設計でフランク・ロイド・ライト様式の建物です。自由学園明日館と似た、瀟洒な雰囲気を感じます。

伊勢五
築年:1868年(明治元年) 商家 土蔵
享保年間(1720年ごろ)の創業。関東大震災後に土蔵が建築されました。その後1949年(昭和24年)に改修され、空襲にも耐え抜きました。

はん亭
築年:1912年(大正元年) 木造3階建建築
大正初期に下駄の爪皮屋として建設され、変遷を経て改修工事により飲食店舗として復元されました。

浅草 本所 深川 月島

イーグルビル
竣工年:昭和初期
震災後に建てられた本格的な耐震耐火建築で、東京大空襲ではこの界隈で唯一焼けずに残ったといわれています。レトロな雰囲気ながらも窓のラインはモダンを感じさせます。

玉置薬局店
竣工年:1929年(昭和4年) 設計:森山松之助
震災復興の商業ビルで、筋面タイルやテラコッタを用い、幾何学形を装飾に取り込んだ外観は昭和初期における建築意匠の特徴をよく伝えています。

タイガービル
竣工年:1934年(昭和3年)
竣工時の用途はエレベーターが設置された賃貸集合住宅として建てられました。東京大空襲にもくぐり抜けてきた震災復興建築の一つであり、台東区内で最も古い歴史的ビルです。

旧台東区立小島小学校
竣工年:1928年(昭和3年) 設計:東京市
震災後の復興小学校。先端の半円の平面とその上の円筒形の塔屋が特徴。校舎はそのまま内部を改修して、2004年、台東デザイナーズビレッジとして運営されています。

松屋 浅草 (東武鉄道浅草駅)
竣工年:1931年(昭和6年) 設計:久野節
壮麗なネオ・ルネサンス様式の建築です。関東初の百貨店併設の駅ビルで、当時は日本最大級の規模でした。2012年に全面を覆っていたアルミルーバーを全て撤去し、竣工時のフ ァサードを復活させる全面リニューアルをしました。

東京都復興記念館
竣工年:1931年(昭和6年) 設計:伊東忠太
横網町公園は陸軍被服廠のあった所で、跡地の公園整備中に関東大震災が発生しました。避難してきた人達は巨大な火災旋風に巻き込まれ、死者は38,000人に上りました。震災の惨禍を物語る多くの遺品や資料や東京大空襲などの戦災関係資料も保存・展示しています。
東京都慰霊堂
竣工年:1930年(昭和5年) 設計:伊東忠太
関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂として創建されました。1948年より東京大空襲の身元不明の遺骨も納め、死亡者の霊を合祀しています。

清洲寮
竣工年:1933年(昭和8年)
鉄筋コンクリート4階建ての民間アパートで、当初は「ハイカラ住宅」と評判だったそうです。レトロ感満載ですが、まだ現役で入居希望者が後を絶たないといいます。

江東区立深川図書館
竣工年:1907年(明治40年)
震災で全焼、空襲でも大きな被害を受けました。現在の建物は平成5年に過去の歴史を残しながら復元されました。ステンドグラスや照明ランプなどレトロな雰囲気の建物です。

土手の伊勢屋
築年:1927年(昭和2年) 町屋
1889年(明治22年)に創業。天丼を主商品にしている天ぷら屋で現在も行列が絶えない店です。

水上酒本店
築年:1929年(昭和4年) 町屋
1900年(明治33年)の創業。出桁造りの屋根を突き破る形で3階部分が乗っている特徴のある構造です。

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