東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Th-04 忠臣蔵 吉良邸から泉岳寺へ

元禄15年12月14日(1703年1月30日)の赤穂浪士による吉良邸討ち入りは日本人なら誰でも知っています。その吉良邸から泉岳寺までの浪士たちの足取りを辿ります。討ち入り後、赤穂浪士たちは細川家、松平家、毛利家、水野家に預けられ、後に大目付の仙石伯嘗守久尚の命により預けられた大名屋敷で切腹しました。

主なポイント抜粋

堀部弥兵衛宅跡(潜伏地)
前原伊助宅跡(前線基地)
吉良邸
回向院正門跡
赤穂浪士が本懐をとげたあとの集合場所だったのですが、血まみれの浪士たちを見て僧が正門を閉じてしまったといいます。

赤穂義士休息の地碑
引き上げの際は吉良、上杉側の追っ手を警戒して両国橋を渡らず万年橋を通り永代橋で市中に入りました。

築地本願寺 間新六之塔
泉岳寺に引き揚げる途中自身の供養を願い、槍に書状と金子を結びつけて投げ入れたといいます。

大目付・仙石伯嘗守久尚邸跡
大石内蔵助は吉田忠左衛門と富森助右萄門とを大目付・仙石伯嘗守久尚邸に派遣し、討ち入りの顛末を報告させました。義士洗足の井戸モニュメントがあります。

毛利甲斐守邸跡
岡島八十右衛門常樹ら10人切腹。長門長府藩毛利家の上屋敷で、現六本木ヒルズ毛利庭園となっています。

水野監物邸跡
間十郎ら9人が切腹。三河岡崎藩水野家敷跡でした。

大石良雄外十六人忠烈の跡
内蔵助良雄ら17人が熊本藩細川家下屋敷にお預けとなり、当地で切腹したといいます。

泉岳寺
大石内蔵助良雄銅像
大石内蔵助良雄墓
大石主税之墓
赤穂義士墓地
浅野長矩公之墓
長矩公夫人之墓
赤穂藩浅野家の菩提寺。1612年(慶長17 年)に徳川家康が創建。寛永の大火で焼失したが再建されました。

皇居東御苑 松の大廊下跡
1701年(元禄14年)浅野匠頭が高吉良上野介に斬りかかる刃傷事件が起きた事件の現場です。

浅野家内匠頭邸跡

浅野内匠頭終焉之地
松の大廊下での事件のあと、浅野内匠頭の身柄は一関藩田村家の上屋敷へ移され、即日切腹させられました。

南部坂 雪の別れ
大石内蔵助が討入りの前日、南部坂の屋敷に瑤泉院とのお別れに行くという忠臣蔵では欠かせない名シーンの舞台です。史実ではありません。「いかにも…」なので坂の雰囲気を味わい、一見の価値があります。

赤坂氷川神社 浅野土佐守邸跡
内匠頭が切腹させられた時、夫人の瑶泉院は実家であるここに住んでいたとされています。

妙行寺 瑤泉院の供養塔
1604年(慶長9年)麹町清水谷にて創建され、1909年(明治42年)に現在地に移転。東海道四谷怪談の「お岩さん」の墓所としても知られています。

天徳院 梶川与惣兵衛の墓所
松の廊下に居合わせ内匠頭の背後から制止し名言「殿中でござる」と言った武士です。

萬昌院功運寺 吉良上野介の墓所
もと千代田区永田町にあった寺。吉良家の菩提寺で代々の墓があります。

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