東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Th-03 徳川将軍家ゆかりの墓所

江戸時代は1603年(慶長8年)徳川家康の征夷大将軍就任から、1867年(慶応3年)第15代徳川慶喜の大政奉還まで続きました。家康を祀った東照宮、徳川家の菩提寺である増上寺や寛永寺はもちろんのこと、徳川にゆかりのある墓所が東京には数多く残っています。大政奉還後の慶喜の足跡と共にゆかりの地、墓所を巡ります。

主なポイント抜粋

池上本門寺 紀州徳川家墓所
紀伊徳川家の江戸藩邸で逝去した夫人たちの墓所があります。徳川御三家の墓所としての威容を示しています。

芝東照宮
家康を祀り1617年(元和3年)に竣工しました。神仏分離令により増上寺から切り離されて芝東照宮となりました。

増上寺 徳川家霊廟 (有料)
徳川将軍15代のうち6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。空襲で大部分が消失しました。

徳川家康像
都内で唯一の家康像です。1993年に東京都に寄贈された鷹狩りの勇姿で江戸城を望む徳川家康像。

徳川慶喜屋敷跡碑 (大イチョウ)
1901年(明治34年)巣鴨から転居してきました。慶喜遺愛の大イチョウの木が残っています。

徳川慶喜終焉の地
慶喜は1913年(大正2年)この地で亡くなったそうです。享年76歳、歴代将軍の中で最長寿だったそうです。

宗慶寺 茶阿局の墓碑
徳川家康の側室でした。松平忠輝、松平松千代の母。聡明であったため強い発言力と政治力を持っていたようです。階段脇に墓碑があります。

伝通院
於大の墓 (徳川家康の母)
千姫の墓 (秀忠の娘)
孝子の墓 (家光の正室)
徳川将軍家の菩提寺。1603年(慶長8年) に家康は母の遺骨をこの地に埋葬し、於大の法名の伝通院としました。伝通院は芝の増上寺、上野の寛永寺と並んで江戸の三霊山と称されました。

徳川慶喜巣鴨屋敷跡
1897年(明治30年)、謹慎生活を許されて東京に戻った時の住居でした。

谷中霊園
徳川慶喜公墓所
徳川御三卿の墓所
慶喜の墓は希望により神式となりました。(非公開ですが柵外から見れます。)徳川御三卿とは一ツ橋家、清水家、田安家を指します。近くに慶喜にゆかりのある渋沢栄一の墓もあります。

寛永寺 徳川家霊廟 (非公開)
徳川将軍15人のうち6人(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠っています。寛永寺は上野戦争でほぼ消失しました。徳川霊廟は非公開ですが側道、一般墓地から一部が見られます。
厳有院霊廟勅額門
常憲院霊廟勅額門
道路側から二つの霊廟勅額門が間近に見れます。厳有院霊廟勅額門は江戸幕府4代将軍徳川家綱の霊廟。常憲院霊廟勅額門は江戸幕府5代将軍徳川綱吉の霊廟です。

上野東照宮 (有料)
1627年(寛永4年)創建。家康・吉宗・慶喜を祀っています。現在の社殿は家光が改築し、上野戦争や震災や空襲でも焼失を免れています。

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