東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Ar-24 小塚原から日光街道を歩く

小塚原処刑場から旧日光街道を下り、千住大橋で隅田川を渡って千住宿を中心に歩きます。

推奨する街歩きの起点
南千住駅 北千住駅

主なポイント抜粋

江戸史跡

延命寺 (小塚原刑場跡)
首切り地蔵
小塚原刑場は1651年(慶安4年)に今の延命寺のあたりに設置されました。延命寺は回向院の子院です。首切り地蔵は1741年(寛保元年)小塚原の刑場の片隅に刑死者を弔うために建立されました。

小塚原回向院
回向院は1667年(寛文7年)に両国回向院が死者の埋葬と供養を行うため、刑場隣接地に常行堂を創建したのが始まりです。 吉田松陰の墓石/橋本左内の墓
観臓記念碑
鼠小僧の墓 高橋お伝 腕の喜三郎の墓
1859年(安政6年)、安政の大獄により吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎などは伝馬町牢屋敷で斬首となりました。その後、遺体は引き取られ回向院に埋葬されました。観臓記念碑は前野良沢、杉田玄白らが刑死者の腑分に立合い、解体新書を翻訳出版した記念碑です。

円通寺
旧上野寛永寺の黒門
彰義隊士の墓
この寺の住職が放置されていた彰義隊の死者を寛永寺で火葬をして寺に埋葬しました。火葬を行った場所の近くの寛永寺 の黒門が弾痕が残ったまま移築されています。(戦後最大の誘拐事件といわれた吉展ちゃん事件の遺体発見現場でもあります。)

素盞雄 スサノオ神社
松尾芭蕉の碑
芭蕉も「奥の細道」への旅立ちの際に旅先の無事を祈願したといいます。

千住大橋
1594年(文禄3年)に千住大橋が隅田川最初の橋として架橋されました。現在の鉄橋は1927年(昭和2年)に架橋され、昭和 48年にさらに接して新橋が作られています。

奥の細道矢立初の碑
芭蕉は1689年(元禄2年)に弟子の曾良を伴って両国から千住に降り立ち、陸奥へ旅立ちました。旅の始まりの句を詠んだ 場所です。

やっちゃ場跡(昔の青果市場)
「やっちゃ」とはセリの掛け声です。千住大橋の架橋によって発展して市場を形成し、神田・駒込と並び江戸の三大市場と称されるまでになりました。

千住宿本陣跡
日光社参や仙台藩伊達家など大名の参勤交代で宿泊や休憩するため本陣が設けられました。石柱と説明板があります。

マルイ10F千住宿復元模型
北千住マルイ10Fに足立区立郷土博物館の千住宿復元ミニチュア模型が展示されています。

近代遺構

橋本左内の墓 旧鞘堂
1933年(昭和8年)に橋本左内の墓を保護するために造られました。近代仏教建築として貴重です。元々は回向院の墓にありました。

源長寺の空襲戦災大クヌギ
将軍の鷹狩の時の御膳所として使われた格式の高い寺院です。空襲の痕跡を残すクヌギの大木が残っています。

森鴎外旧居・橘井堂森医院跡
鴎外の父が開業。鴎外は東大医学部を卒業後に陸軍軍医副に任官し、人力車で陸軍病院に通ったといいます。

看板建築 町屋

名倉医院
名倉医院は江戸時代より骨接ぎの医院として知られ、幕末の旧主屋や長屋門、土蔵などが現存しています。

横山家住宅(紙問屋松屋)
江戸時代後期の建造物で、宿場町だった千住の名残を今に伝えています。江戸時代から続く富裕な地すき紙問屋で、屋号 を「松屋」といいました。

千住絵馬屋・吉田屋
代々東斎を名乗り、小柄の愛らしい千住絵馬を作っています。吉田絵馬屋は現在で8代目にあたります。

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