Ar-23 富岡八幡宮から深川を歩く
富岡八幡宮から清澄公園、さらに清洲橋を横目に小名木川の万年橋を渡り、芭蕉ゆかりの地を歩きます。
推奨する街歩きの起点
門前仲町駅 清澄白河駅 森下駅
主なポイント抜粋
江戸史跡
富岡八幡宮
1627年(寛永4年)創祀の江戸最大の八幡 宮。徳川将軍家の保護を受け周囲には門 前町(門前仲町)が形成され発展しました。
力持ち碑
横綱力士碑
八幡橋(旧弾正橋)
木場の角乗
伊能忠敬像
測量の旅に出かける時には富岡八幡宮に道中の安全を祈願したといいます。
成田山 深川不動堂
石造灯明台
日清戦争の戦勝を記念して1898年(明治31年)に竣工。不動公園に移設。深川不動の本堂もユニークです。
法乗院 深川えんま堂
江戸時代から「深川の閻魔」として知られていました。1760年(宝暦10年)に閻魔堂ができ、最近では閻魔の声で仏の教え を語ります。
伊能忠敬住居跡
50歳を過ぎてから深川に住まいを移し、ここから測量の旅に出かけたました。
霊巌寺
地蔵菩薩坐像 (江戸六地蔵)
霊巌寺は1624年(寛永元年)の創建。寛政の改革を行った松平定信の墓をはじめ、多くの大名の墓があります。1717年(享保2年)に鋳造された江戸六地蔵の5番目が安置されています。
間宮林蔵の墓所
伊能忠敬に測量技術を学び1811年樺太が島である事を確認し間宮海峡を発見したことで知られています。
採荼庵跡
芭蕉は1689年(元禄2年)に、隅田川を遡り「奥の細道」の旅に出発したのがこの採茶庵からでした。
芭蕉俳句の散歩道
仙台堀川の海辺橋から清澄橋までの水辺の道に奥の細道の代表的な18句の句碑が並んでいます。
深川江戸資料館 (有料)
江戸時代(天保年間頃)の深川佐賀町の街並みを再現した展示をしている資料館です。なかなか秀逸です。
「古池の句」碑 (清澄庭園)
芭蕉庵の改修の際、場所が狭いためこの場所に碑を移したそうです。
平賀源内電気実験の地
1776年(安永5年)、源内は破損したエレキテルを長崎で入手し、この地で日本で初めてエレキテルの復元修理に成功しま した。予備知識はなかったといいます。
芭蕉記念館 (有料)
芭蕉ゆかりの地に開館しました。発見された芭蕉遺愛の石蛙など、芭蕉に関するものが展示されています。
隅田川テラス 9つの芭蕉句碑
大川端芭蕉句選として、9句の句碑プレートが点々と連なっています。全て芭蕉が芭蕉庵で詠んだ句で、年代順になってい ます。
芭蕉庵史跡展望庭園
芭蕉の坐像があります。隅田川と小名木川に接し隅田川を一望する景色が展望できます。坐像は夜間回転しライトアップ されます。
芭蕉稲荷神社
この地が芭蕉庵跡、「芭蕉翁古池の跡」とされている。御神体は石蛙。この芭蕉庵を拠点に「奥の細道」を残しました。
近代遺構
富岡八幡宮
天皇陛下御野立所 東京大空襲
大関力士碑
八幡橋(旧弾正橋)
東京大空襲の1週間後、昭和天皇は下町地区を巡幸し、被害状況を視察しました。その際、富岡八幡宮の境内で内務大臣より被害状況について上奏をうけ、「こんなに焼けたか」と絶句したといいます。
萬年橋 ケルンの眺め碑
清洲橋は、萬年橋のたもとからの眺めが最も美しく見える角度と言われており、清洲橋のモデルとなったケルン市のライ ン川に架かる吊橋を連想させることから、「ケルンの眺め」と呼ばれています。
近代レトロ建築
清洲寮
竣工年:1933年(昭和8年)。
鉄筋コンクリート4階建ての民間アパートで、当初は「ハイカラ住宅」と評判だったそうです。レトロ感満載ですが、まだ現役で入居希望者が後を絶たないといいます。
旧東京市営店舗向住宅
竣工年:1928年(昭和3年)。
震災後の復興事業で東京市が昭和3年に建設した店舗付住宅です。約250mにわたって立ち並ぶ鉄筋コンクリート造の長屋で今も使用されています。
江東区立深川図書館
竣工年:1907年(明治40年)。
震災で全焼、空襲でも大きな被害を受けました。現在の建物は平成5年に過去の歴史を残しながら復元されました。
旧東京市深川食堂 (深川東京モダン館)
竣工年:1932年(昭和7年)。
関東大震災の復興計画の一環として東京市が建設した市設食堂です。震災復興の近代建造物として稀少です。
近代 和建築
清澄庭園 大正記念館
清洲庭園は1878年(明治11年)、荒廃していた邸地を三菱創業者の岩崎弥太郎が買い取り、庭園として造成しました。大正記念館は1928年(昭和3年)、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築したもの。戦災で焼失し、昭和28年に再建。
清澄庭園 旧岩崎家深川別邸 涼亭
数寄屋造りの建物。1909年(明治42年) に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために建てたもの。昭和60 年に全面改築を行っています。
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