東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Ar-22 両国橋から本所を歩く

両国の回向院を中心に、江戸の歴史と文化を刻んだ下町を歩きます。

推奨する街歩きの起点
両国駅 菊川駅

主なポイント抜粋

江戸史跡

北斎浮世絵 案内板
墨田区が北斎の浮世絵の案内板を両国周辺に16基設置したものです。そのうちの3箇所を辿ります。

旧安田庭園
旧丹後宮津藩・本庄松平氏の下屋敷を1900年(明治33年)安田財閥の安田善次郎が購入した庭園です。

刀剣博物館 (有料)
日本国内でも数少ない日本刀専門の博物館。2018年開館。有料で拝観料も高いので、余り興味がなければ槇文彦設計の建物外観のみがお勧めです。

徳ノ山稲荷神社
日本左衛門首洗い井戸跡之碑
江戸時代中期に諸国を荒らした盗賊団一味で獄門となりました。歌舞伎の白波五人男の日本駄右衛門のモデル。

江戸東京博物館(長期休館中)
徳川家康像、本所御蔵跡については不明。

葛飾北斎生誕地
江戸時代後期の1760年(宝暦10年)、北斎はこの地に生まれました。

すみだ北斎美術館 (有料)
北斎が本所で生涯を送ったことから、2016年にゆかりの地に開館しました。建物含め一見の価値ありです。

葛飾北斎住居跡
北斎は生涯で90回以上も転居を繰り返しましたが正確に判明している場所は貴重だそうです。

山岡鉄舟旧居跡 生誕の地
幕臣として清河八郎とともに浪士組を結成。江戸無血開城では単身で西郷と面会して下交渉をしました。勝海舟、高橋泥 舟と共に「幕末の三舟」と称されます。

長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡
長谷川平蔵は1764年(明和元年)、屋敷替えにより築地から移転して来ました。遠山金四郎が住んだのは1846年(弘化3年) からです。平蔵の孫の代での屋敷替えだったんですね。

堀部弥兵衛宅跡(潜伏地)
堀部安兵衛が開いていた剣術道場があった場所です。

勝海舟生誕の地 記念碑
1823年(文政6年)、勝海舟は両国のこの地で生まれました。西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学び、1860年咸臨丸 艦長として渡米しました。

吉良邸正門跡
吉良邸跡
吉良邸裏門跡

前原伊助宅跡(前線基地)
赤穂浪士討ち入りでの前線基地としての潜伏地です。米屋に扮して潜伏していた場所です。討入り当日は赤穂義士たちの 集合場所になりました。

回向院
1657年(明暦3年)明暦の大火があり、江戸市街の6割以上が焼失し10万人以上の死者が出ました。将軍家綱は供養のため回向院を建立しました。
力塚
ねずみ小僧の墓
大名屋敷のみを狙って盗みに入り後世に義賊として伝説化された。市中引き回しの上での獄門は小塚原刑場にて行われました。

回向院正門跡
赤穂浪士が本懐をとげたあとの集合場所でしたが、血まみれの浪士たちを見て僧が正門を閉じてしまったといいます。

近代遺構

横網町公園
東京都復興記念館
東京都慰霊堂
元陸軍被服廠があったところを東京市が公園として整備。関東大震災でこの公園に避難した人だけで38,000人が犠牲になったといいます。1945年の東京大空襲でも一帯で多数の犠牲者が出て慰霊堂も作られました。 旧陸軍被服廠跡
空襲碑
朝鮮人犠牲者追悼碑

芥川龍之介文学碑
本所は龍之介の幼児時から少青年期までの大事な時期を育んだ場所で「大道寺伸輔の半生」「本所両国」などの作品にそ の一端を見ることが出来ます。

近代レトロ建築

東京都慰霊堂
竣工年:1930年(昭和5年)設計:伊東忠太。
震災の死亡者の霊を祀る震災記念堂として創建されました。また東京大空襲の身元不明の遺骨も納め、合祀しています。

東京都復興記念館
竣工年:1931年(昭和6年)設計:伊東忠太。
震災の惨禍を物語る多くの遺品や資料や東京大空襲などの戦災関係資料も保存・展示しています。

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