東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Ar-21 浅草から向島を歩く

浅草駅から浅草寺まで行き、さらにすみだリバーウォーク、桜橋もしくは言問橋で隅田川を渡り、旧水戸藩下屋敷 跡までを歩きます。

推奨する街歩きの起点
浅草駅 押上駅駅 本所吾妻橋駅

主なポイント抜粋

江戸史跡

浅草寺 駒形堂
浅草寺の本尊が隅田川から見つかった場所に建立されました。すぐ前に船着き場があり、人びとはまず駒形堂のご本尊を拝んでから浅草寺に参拝しました。

浅草観音戒殺碑
1692年(元禄5年)生類憐みの令の将軍綱吉の時代に、浅草寺近辺の隅田川が殺生禁断の地となりました。

浅草寺
徳川家康により幕府の祈願所と定められ、手厚い庇護を受けました。庶民信仰の場として境内に水茶屋や見世物小屋が軒を連ね、江戸の名所となりました。
雷門
仲見世商店街
五重塔
神木いちょう
時の鐘
二天門
浅草神社
影向堂 淡島堂
東京大空襲により本堂をはじめほとんど焼失しましたが、伝法院・二天門・浅草神社は焼失を免れました。現存する二天 門、浅草神社は1649年(慶安2年)頃の建築と考えられます。

江戸猿若町中村座跡
江戸猿若町市村座跡
江戸猿若町守田座跡
猿若町には江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋江戸三座があり、劇場街として賑わっていました。

待乳山聖天 本龍院
浅草寺の子院のひとつである。かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れていました。

今戸神社
沖田総司終焉の地の碑
今戸神社は1063年(康平6年)源頼義・義家親子が創建。近年になって縁結びにゆかりがあるとして、招き猫発祥の地(真偽 不明)をアピールしています。また絵馬は真円形の絵馬です。沖田総司は江戸に戻った時点で肺の病はかなり進んでおり、総司を含む患者たちは今戸神社に収容されたとあります。(諸説あり)

牛嶋神社 小梅稲荷神社
撫牛 (なでうし)
貞観年間(859年-879年)に創建。葛飾北斎の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」がありましたが焼失し白黒コピー版の み。すみだ北斎美術館にて復元展示されています。本殿前の鳥居は三ツ鳥居と呼ばれる珍しい形態です。「撫牛」の像があり、自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられています。

近代遺構

花やしき浅草門
浅草花劇場
1853年(嘉永6年)の開園で、日本最初の遊園地とされています。江戸期は茶人、俳人らの集会の場や大奥の女中らの憩いの場として利用され、ブランコが唯一の遊具でした。明治大正には庶民にも親しまれるようトラ、クマなど動物の展示をした り、五階建てのランドマーク奥山閣が建設されました。

近代レトロ建築

神谷バー
竣工年:1921年(大正10年)。
震災に耐え、東京大空襲では損傷を受けましが修繕されました。大正期に流行のモダンデザインの流れをくんでいます。

松屋 浅草 (東武鉄道浅草駅)
竣工年:1931年(昭和6年)設計:久野節。
壮麗なネオ・ルネサンス様式の建築です。関東初の百貨店併設の駅ビルで、当時は日本最大級の規模でした。

都心に生きる古木

浅草文化観光センター (隈研吾)
2012年竣工。
伝統的な切妻屋根の木造住宅を7つ積み重ねたようなデザイン。外観の木製ルーバーは日射を防ぐ役割も果たします。

現代建築

浅草寺 神木いちょう
樹齢:推定800年 高さ:8m 幹周:5.5m
戦災により焼けた跡が残っています。

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