東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Ar-15 後楽園から小石川を歩く

かつて東京工廠があった後楽園、礫川公園一帯から、小石川の療養所跡の植物園、徳川ゆかりの伝通院を経て茗荷谷 まで歩きます。

推奨する街歩きの起点
水道橋駅 後楽園駅 春日駅 茗荷谷駅 白山駅

主なポイント抜粋

江戸史跡

八百屋お七の墓 (圓乘寺)
井原西鶴の好色五人女で有名なお七の墓。1683年(天和3年)に鈴ヶ森で処刑されました。

滝沢馬琴の墓 (深光寺)
馬琴の墓の後ろに、晩年に文字を教えながらの口述筆記をした長男の妻であった路女の墓もあります。

しばられ地蔵 (林泉寺)
願かけのとき地蔵尊に縄をかけ、かなうと縄をほどくというもので、庶民の信仰を集めていました。

こんにゃく閻魔と塩地蔵 (源覚寺)
老婆の眼病を閻魔大王が自身の右目を与えて治し、老婆は感謝して好物の「こんにゃく」を断ち、供え続けたとされてい ます。歯痛緩和の「塩地蔵」も安置。

傳通院
徳川将軍家の菩提寺。1603年(慶長8年) に家康は母の遺骨をこの地に埋葬し、於大の法名の伝通院としました。伝通院は芝の増上寺、上野の寛永寺と並んで江戸の三霊山と称されました。
家康の生母於大の墓
秀忠の長女千姫の墓
家光正室の孝子の墓

処静院跡 (傳通院)
処静院跡の石柱 (傳通院)
伝通院の子院・処静院で浪士組が結成されました。新選組創設メンバーの多くが処静院に集まっています。

清河八郎の墓 (傳通院)
1863年(文久3年)浪士組に不安を抱いた幕府は浪士組を江戸へ呼び戻し、清河八郎は刺客により暗殺されました。

切支丹屋敷跡
島原の乱の5年後、イタリアの宣教師ら10人が筑前に漂着し収容され尋問された屋敷。信者の八兵衛を拷問で生き埋めに したという「夜なき石」があります。

徳川慶喜屋敷跡碑
1901年(明治34年)巣鴨から転居してきました。慶喜遺愛の大イチョウの木が残っています。

徳川慶喜終焉の地
慶喜は1913年(大正2年)この地で亡くなったそうです。享年76歳、歴代将軍の中で最長寿だったそうです。

近代遺構

東京工廠跡 基礎レンガ
東京ドームホテルの裏側に東京砲兵工廠 の土台であった基礎レンガが展示されています。建設の際に地下5mからやっと取 り出したものです。

東京工廠跡 記念碑 (後楽園)
明治政府は1869年にこの一帯に広がっていた水戸徳川家上屋敷跡を買い上げ、1871年から兵器工場の東京砲兵工廠としました。震災の被害が大きく、その後移転しました。

陸軍砲兵工科学校跡
1872年フランス陸軍のルボン大尉が小石川に伝諸工集会所を開設、1896年(明治29年)に陸軍砲兵学校となりました。諸 工伝習所跡の石碑もあります。

プロ野球選手たちの鎮魂碑
戦死されたプロ野球関係者の鎮魂の碑と中等学校・大学・社会人野球の選手の方々の慰霊モニュメントがあります。

石川啄木終焉の地
石川啄木顕彰室
明治44年、啄木は家族と共に本郷の喜之床からこの地に移り、啄木も母も病身でした。1912年(明治45年)結核のため26歳で死去。文字どおり薄幸にして流亡の生涯でした。顕彰室には啄木の足跡を写真やパネル、年表等で展示してあります。

佐藤春夫の墓 (傳通院)
佐藤春夫は大正・昭和期の詩人・小説家。耽美主義の影響を受けて1919年(大正8年)「田園の憂鬱」を発表しました。

近代レトロ建築

小石川植物園 本館
竣工年:1939年(昭和14年)設計:内田祥三。
アールデコの2階建て、曲面ガラス張りの螺旋階段の塔屋に時計が設置。白壁に優美な直線と曲線の造形が目を引きます。

小石川植物園 柴田記念館
竣工年:1919年(大正8年)設計:東京帝大。
柴田桂太教授が学士院恩賜賞の賞金を寄付し、それをもとに建設されました。植物園に残っている最も古い建物です。

東京大学総合研究博物館 小石川分館
竣工年:1876年(明治9年) 設計:西郷元善。
東京大学の現存する最古の建築物。昭和44年に本郷から移築。明治初期らしい擬洋風建築の重要な遺例です。

日本聖公会 東京諸聖徒教会
竣工年:1931年(昭和6年) 設計:バーガミニー。
震災後に現在地へ移転してきました。構造は鉄筋コンクリート造で、東京空襲で屋根部分を焼失しましたが戦後修復されました。コンクリートの量感のある外観が特徴的です。

拓殖大学 本館
竣工年:1932年(昭和7年)設計:加護谷祐太郎。
天高く伸びるゴシック調の建物で縦の線が強調された溝が特徴で、大学らしい重厚なデザインです。

近代レトロ建築

大亜堂書店
竣工年:築年:昭和初期。
昭和7年より現在の店舗にて営業している古書店。震災後の看板建築の典型で壁のスクラッチタイルと左書きのブリキ看板 が目印となっています。

伊勢五
築年:1868年(明治元年) 商家 土蔵。
1720年ごろの創業。震災後に土蔵が建築されました。その後1949年(昭和24年) に改修され、空襲にも耐え抜きました。

山﨑家住宅
築年:1917年(大正7年)和洋折衷住宅。
東大教授だった山﨑直方の大正ロマン溢れる邸宅です。二階建の洋館に平屋建の和館が接続され、ステンドグラスを取り入 れるなど、大正期の貴重な住宅です。

都心に生きる古木

慈眼院 善光寺坂のムクノキ
樹齢:400年 高さ:13m 幹周:5m
伝通院の境内だった所。空襲で木の上部が焼けたといいます。

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