東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Ar-14 箱根山から早稲田を歩く

広大な練兵場があった大久保、戸山から箱根山を経て、早稲田大学、さらに神楽坂に至るまでを歩きます。

推奨する街歩きの起点
東新宿駅 西早稲田駅 早稲田駅 牛込神楽坂駅 神楽坂駅

主なポイント抜粋

江戸史跡

杉田玄白生誕の碑
若狭小浜藩酒井家下屋敷跡です。玄白は1733年(享保18年)、この下屋敷で生まれました。

試衛館跡
近藤勇の養父である天然理心流3代目近藤周助が創設しました。門弟として土方歳三、沖田総司など、のちの新選組の中核 をなすメンバーが顔を連ねていました。

関孝和の墓 (浄輪寺)
江戸中期の和算家で、それまでの和算の流れを全く変えてしまった天才で、和算は関孝和から始まるといわれています。

近代遺構

志賀直哉旧宅跡
昭和13年より昭和15年の2年余をこの地に夫人並びに6人の子女と居みました。この間、大作「志賀直哉全集」(全9巻) を完結、発表しました。

明治天皇射的砲術天覧所跡
1882年(明治15年)に近衛射的場が完成しました。明治天皇の行幸があり境内よりその射撃演習を天覧になられました。

戸山・野外演奏場跡
陸軍戸山学校の野外演奏場跡です。陸軍戸山学校では軍楽隊の訓練も行われていました。

箱根山 (陸軍戸山学校)
1873年(明治6年)に旧尾張藩下屋敷跡に陸軍兵学寮戸山出張所が設置され、陸軍戸山学校と改称されて終戦まで存続して いました。

小泉八雲終焉の地
晩年に居住し亡くなった場所です。周辺の喧騒を嫌い、明治35年この地へ転居しました。執筆活動に加え、明治37年から は早稲田大学でも教鞭をとりました。

小泉八雲胸像
出身地であるギリシャをイメージし、石柱など白を基調に作られています。園内には小泉八雲の生涯を紹介する碑や胸像 が設置されています。

尾崎紅葉旧居跡
紅葉が明治24年から明治36年に死去するまでの12年間居住し、この地で代表作の「金色夜叉」など多くの作品を執筆しました。

夏目漱石誕生の地碑
漱石は1867年(慶応3年)、名主の子としてこの地に生まれました。碑は昭和41年、漱石生誕100年を記念して建てられたものです。

夏目漱石終焉の地
夏目漱石の像
漱石山房記念館
猫の墓
1907年(明治40)から1916年(大正5)に漱石が亡くなるまで過ごした「漱石山房」がありました。この地で「三四郎」 「それから」「こころ」といった代表作を執筆しました。

近代レトロ建築

学習院旧正門
竣工年:1877年(明治10年)設計:宮内省。
神田にあった華族学校(現学習院)の正門でした。目白に移り、さらに戦後、女子学習院が移転して移築されました。

旧陸軍将校会議室跡
竣工年:不詳。
戸山学校の将校集会所として使われていた半地下式石造りの部分が現存しています。現在は戸山教会・戸山幼稚園。

小笠原伯爵邸
竣工年:1927年(昭和2年) 設計:曾禰中條。
旧小倉藩藩主の伯爵小笠原長幹の邸宅として、当時流行のスパニッシュ様式で建てられました。現在レストランとして使われています。

早稲田大学 大隈記念講堂
竣工年:1927年(昭和2年)。
建築学科の佐藤功一教授と佐藤武夫助教授が設計。ロマネスク様式を基調としてゴシック様式を加味した近代の折衷主義建築の優品として高い価値がある。

早稲田大学 3号館
竣工年:1933年(昭和8年) 。
旧3号館の外観を保存して高層の新3号館となり、低層部に面影のみを残す腰巻ビルになりました。

早稲田大学 會津八一記念博物館
竣工年:1925年(大正14年) 設計:今井兼次。
多角形の屋根や随所にとりいれられた優美な曲線は表現主義の流れを汲むもので、斬新な建築自体が芸術作品になっています。若い助教時代のデビュー作。

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
竣工年:1928年(昭和3年) 。
シェイクスピア 時代の劇場である「フォーチュン座」を模倣したエリザベス朝様式で、玄関正面が舞台に、両翼の部分に観客が座る野外劇場の形をとっています。

早稲田奉仕園 スコットホール
竣工年:1921年(大正10年) 設計:今井兼次。
ヴォーリズの設計原案に基づき、赤煉瓦の外観に天井の高さと内装の木が醸し出す落ち着いた雰囲気が特徴。

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