東京レトロ街歩きガイド&マップ

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Ar-09 三田から白金を歩く

三田の慶應大学と泉岳寺周辺に残る四十七士の遺構を中心に白金、高輪かすめながら新駅の高輪ゲートウェイ駅まで 歩きます。

推奨する街歩きの起点
高輪ゲートウェイ駅 泉岳寺駅 白金高輪駅 三田駅 田町駅

主なポイント抜粋

江戸史跡

薩摩藩蔵屋敷跡
西郷南州・勝海舟会見之地
江戸開城 西郷南州・勝海舟会見之地碑があります。高輪の薩摩藩下屋敷で第1回目の会談が、続いてこの薩摩蔵屋敷で会 談がもたれ合意したといいます。(再開発工事中)

西郷南洲・勝海舟会見の図
山手線田町駅三田口コンコースに西郷隆盛と勝海舟会見のレリーフがあります。江戸城無血開城の話し合いを記念して作 られたました。

荻生徂徠の墓 (長松寺)
江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者で、徳川吉宗に重用されました。赤穂浪士の切腹を進言したといいます。

加賀千代女の井戸 (薬王寺)
俳人加賀千代は諸国歴遊の途中に立ち寄り、「朝顔につるべ取られてもらい水」と詠みました。

フランス領事館跡碑 (済海寺)
日仏修好通商条約にもとづき、1859年 (安政6年)に設置され初代公使としてド・ベルクールが駐在しました。フランスは親幕府的な立場をとるようになり、積極的に関与しました。1867年(慶応2年)からフランス軍事顧問団による幕府陸軍の訓練もしました。

元和キリシタン遺跡
徳川家光はキリシタン迫害政策を強化し、1623年(元和9年)に宣教師を含む信者50名をこの地で火刑に処しました。

泉岳寺
大石内蔵助良雄銅像
1612年(慶長17年)に徳川家康が創建。泉岳寺は赤穂藩浅野家の菩提寺でした。寛永の大火で焼失し、再建されました。

浅野長矩公之墓
長矩公夫人之墓
大石内蔵助良雄の墓
大石主税の墓
堀部安兵衛の墓
赤穂浪士四十七士墓

高輪大木戸跡
かつて熊本藩細川家下屋敷がありました。内蔵助良雄ら17人が屋敷にお預けとなり、この地で切腹したといいます。赤穂浪士は厚遇されたといいます。

大石良雄外十六人忠烈の跡
江戸時代中期に江戸の治安維持のため、柵状の門が設置されました。現存する大木戸はここだけで、伊能忠敬が日本地図 作成の測量の起点がこの大木戸でした。

大久保彦左衛門の墓 (立行寺)
時代劇でお馴染み天下のご意見番、大久保彦左衛門。三河の家に生まれ徳川家康の家臣として関ヶ原の戦いで活躍し徳川 秀忠、家光に多大の貢献をした人です。

近代遺構

慶應義塾大学
福澤諭吉像 (三田キャンパス)
福沢諭吉終焉の地
1871年(明治4年)、三田の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ、築地より移転。明治以後、官公私立問わず、近代日本の教育 制度、大学制度の立ち上げモデルとなりました。

近代レトロ建築

慶應大学 三田演説館
竣工年:1875年(明治8年)。
日本最初の演説会堂。外壁は板瓦貼りなまこ壁で、正面中央には切妻造屋根の玄関を設けるなど、幕末・明治初頭に流行した和洋折衷様式になっています。

慶應大学 図書館 旧館
竣工年:1912年(明治45年)設計:曽禰中條ほか。
赤煉瓦と花崗岩、テラコッタによる記念館らしい華やかな外観のゴシック建築で、慶應大学を代表する建物です。

慶應大学 塾監局
竣工年:1926年(大正15年)設計:曽禰中條ほか。
褐色のタイル貼り2階部分には半円アーチ窓。玄関ポーチの構えなど、様式主義の色が残った外観です。

クウェート大使館(丹下健三 設計)
竣工年:1970年。
2本の太いコア・シャフトによって支えられた上層部と下層部で構成されるダイナミックな造形は凝りに凝っています。

都心に生きる古木

旧細川邸のシイ
樹齢:360年 高さ:17m 幹周:7.4m

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