東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

E-1-01 隅田川の橋を巡る-1 千住大橋~言問橋

江戸時代、下町を流れる隅田川には千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、吾妻橋がかかり隅田川五橋と呼ばれました。さらに1657年(明暦3年)の振袖火事の教訓から避難路として両国橋が架けられました。1807年には老朽化した永代橋が落橋し500人を超える死者が出る事故が起きてしまいました。

明治以降は鉄橋の架設が進められ、特に大震災の復興橋として言問橋、駒形橋、蔵前橋、清洲橋が新設されました。現在、東京の隅田川には30本以上の多様な形式の橋が並び、さながら橋の博物館となっています。このコースでは千住大橋から言問橋まで隅田川を辿り、併せて両岸の歴史遺構を訪ねます。

主な史跡抜粋

千住宿奥の細道プチテラス
芭蕉生誕360年にあたり旧日光街道中の入口に「奥の細道」への旅立ちを記念して作られました。史跡ではありません。

奥の細道 矢立初めの地
芭蕉は1689年(元禄2年)に弟子の曾良を伴って千住宿に降り立ち陸奥へ旅立ちました。旅の始めの句を詠んだ場所です。

千住大橋
初:1594年(文禄3年)/現:1927年(昭和2年)竣工
徳川家康が江戸入府の間もない文禄3年に架橋された隅田川最初の橋でした。街道の要衝で千住宿が発展しました。

スサノオ神社 松尾芭蕉の碑
芭蕉も「奥の細道」への旅立ちの際に旅先の無事を祈願したといいます。

千住汐入大橋
初:ーー/現:2006年(平成18年)竣工
隅田川に架かる橋の中では比較的新しく、2006年(平成18年)に開通しました。

水神大橋
初:ーー/現:1989年(平成元年)竣工
水神の渡しという渡船場があった場所。汐入公園、東白鬚公園の防災拠点をつなぐ役割で架橋されました。

榎本武揚像
1913年(大正2年)に旧幕臣の提唱で晩年のゆかりの地の向島に建立されました。 大礼服姿で右手に帽子、左手にはサーベルを持つ堂々たる姿です。

白髭橋
初:1914年(大正3年)/現:1931年(昭和6年)竣工
通行料を取った木橋でしたが東京府が買い取り、震災後の復興事業の一環として現在の橋に架け替えられました。

明治天皇行幸對鴎荘遺蹟
対鷗荘は明治の政治家三条実美の別邸でした。太政大臣の実美は心労のあまり病に倒れ、明治6年に明治天皇は病床の実美を気使い、この邸を訪れました。

総泉寺 平賀源内の墓所
エレキテルなど発明家ですが、1779年に殺傷事件を起こし小伝馬町の牢内で獄死しました。

言問団子
植木師の外山佐吉が江戸時代末期に創業の老舗。古今和歌集にちなむもので、幸田露伴、野口雨情、竹久夢二など多くの文人が訪れていました。
墨堤植桜之碑
隅田川の堤を墨堤と呼び、江戸時代から花見の名所でした。桜が枯れ始め、明治16年に大倉喜八郎など有名人も加わり1000本の桜を植えた記念碑です。
長命寺
出羽三山の碑
長命寺桜もち 山本や
山形県の出羽三山に対する信仰を出羽三山信仰といい、都内でも希少な碑です。

桜橋
双鶴飛天の図
初:ーー/現:1985年(昭和60年)竣工
隅田川唯一の歩行者専用で、X字の特異な形で両岸の隅田公園を結んでいます。

言問橋
空襲で焼け焦げた黒い部分
初:ーー/現:1928年(昭和3年)竣工
大震災の復興で昭和3年に架けられました。両岸の復興公園の隅田公園を結んでいます。東京大空襲では多くの方が亡くなられ、焼けた痕跡が今でも残っています。

牛嶋神社 なで牛
境内には牛の像があり、自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられています。葛飾北斎の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」があったが、関東大震災で現物は焼失。色彩の推定復元が行われ、すみだ北斎美術館にて展示されています。また、三ツ鳥居と呼ばれる珍しい鳥居があります。

次のコースE-1-02隅田川の橋 吾妻橋~隅田川大橋を歩くを見る

CATEGORIES

E:Focus on

コース経路

Start京成線千住大橋駅南口→→End銀座線浅草駅4

ウォーキング距離と歩数

16km 24600歩