東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

D-1-05 坂と歴史の町-5 霞ヶ関 虎ノ門

港区は武蔵野台地の東端にあたる高地と、東京湾に面する埋立て地の低地から成っています。 西北の内陸が高く東南の海側が低い、全体的に傾斜した地形になっていいることが都内でも有数の坂の町となっている訳です。

このコースでは江戸期より前は日比谷入江が広がる海、湿地だった日比谷、霞ヶ関から武蔵野台地に向かって歩きます。溜池から虎ノ門にかけては外堀の痕跡が残る外堀通りの凹みを越えて赤坂へ向かう起伏がある地形を歩きます。東京の中枢、日比谷から赤坂に至るエリアにフォーカスして、今に残る名坂と積み重なった歴史の痕跡を辿ります。

このコースの一部は、ブログ「日比谷公園のぶらり歴史散歩」、「霞ヶ関のぶらり歴史散歩」に実際の街歩きレポートがありますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

江戸城 日比谷見附跡
明治初期に取り壊されましたが、石垣の一部が日比谷公園に移築されました。実際の場所は日比谷交差点の位置でした。

日比谷公園
公園は日比谷入江と呼ばれる海でした。神田山の開削の土砂を使って埋め立てられました。地盤が悪く重量建築には不向きで公園となりました。
伊達政宗終焉の地
ホセ・リサール博士 像
旧 日比谷公園事務所
首賭けイチョウ
1910年(明治43年) の竣工の公園事務所は当時としては斬新なドイツ・バ ンガロー風の造りです。建物の外観変更はわずかで昔の姿をよく保つ明治期の数少ない近代洋風建築です。
日比谷公会堂
1929年(昭和4年)の竣工。東京では事実上唯一のコンサートホールでした。1960年の浅沼稲次郎暗殺事件の現場です。
鹿鳴館跡の碑
1883年(明治16年)、外務大臣であった井上馨が不平等条約の改正を早める目的で政府や貴族の社交場として建設。ジョサイア・コンドルの設計。

大岡越前守忠相 屋敷跡
1717年(享保2年)に江戸奉行に起用され、名奉行として公正で人情味ある裁きは広く伝わっていいます。大名にまで昇進しました。

法務省旧本館 赤れんが棟
1895年(明治28年)の竣工。明治政府の官庁集中計画により建築。空襲で消失しましたが戦後に改修、さらに平成6年に創建時の姿に復原されました。

外務省
陸奥宗光公銅像
1960年(昭和35年)の竣工。3つの建物が口型に配置されているます。道路からの陸奥宗光の銅像が必見です。

国会前庭
彦根藩井伊家上屋敷跡
日本水準原点
この地の由来碑 参謀本部記載
櫻の井
憲政記念館 三権分立の時計塔
井伊掃部頭邸跡(前加藤清正邸)
この地は江戸期には加藤清正邸、井伊直弼邸、明治以降には陸軍参謀本部がありました。この地の由来碑に時代の変遷が記載されています。

旧 大蔵省
1939年(昭和14年)の竣工。文部省と同じく大蔵省営繕管財局の設計ですが、戦争の世情もあり極めて地味な外観です。
旧・文部省
1933年(昭和8年)の竣工。霞が関官庁街における震災復興庁舎。2007年の再開発により霞が関コモンゲートの一部として、旧建物が部分的に保存されました。

江戸城外堀跡 地下展示室
佐賀藩によって作られた外堀石垣が復元され、展示されています。石垣表面には矢穴や大名家の刻印が見られます。
江戸城外堀跡 溜池櫓台
この櫓台は1636年、因幡鳥取藩によって構築されたとあります。溜池一帯を見下ろす位置にありました。石垣の一部が現存しています
溜池発祥の碑
溜池は江戸城の防備をかねて外堀兼用の上水道の水源として堰き止めた池で、不忍池に匹敵する江戸の名所でした。明治21年には完全に埋め立てられました。

アメリカ大使館
大使館の東側に霊南坂があり、アメリカ大使館の異名として通用していました。 隣接する公邸、宿舎は道路からは見えない作りになっています。

四合稲荷神社 勝海舟直筆の扁額
赤坂氷川神社の境内にあります。赤坂に住んでいた勝海舟は氷川神社とも深い縁にあって四合稲荷は勝海舟の命名です。
氷川神社の石燈籠
大銀杏
浅野土佐守邸跡
氷川神社の力石
浅野土佐守邸跡は浅野長矩の夫人である瑤泉院の実家でした。大石内蔵助が討入りの前日に訪ねました。

勝海舟邸宅跡(氷川小学校跡)
勝海舟・坂本龍馬の師弟像
海舟が亡くなるまで住んだ屋敷跡。2016年に2人が知り合った勝海舟邸跡に師弟像が作られました。

次のコースD-1-06坂と歴史の町 赤坂 紀尾井を見る

CATEGORIES

D:武蔵野台地を体感する

コース経路

Start日比谷線日比谷駅A10→→End千代田線赤坂駅5b

ウォーキング距離と歩数

14km 21500歩