東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

D-1-04 坂と歴史の町 -4 お茶の水 神田

お茶の水周辺は舌状に延びた本郷台地の端にあたります。更に台地を真っ二つに分断して神田川を通す仙台濠の掘削大工事の跡が見て取れる特徴的な地形がさらに起伏を生んでいます。続く神田から日本橋にかけては台地を離れ低地の平坦な地形が続き下町を形成しています。このコースはお茶の水、神田エリアにフォーカスして、今に残る歴史ある名坂と歴史の痕跡が組合わされた独特の風情を辿ります。

十思公園、大安楽寺はブログ「江戸のお裁きシステムを辿る」の実際の街歩きレポートに収録されていますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

御茶ノ水記念碑
鷹狩りで2代将軍秀忠がこの近くの高林寺境内の名水で茶を点て、気に入ったことからお茶の水が地名となりました。

東京復活大聖堂(有料)
緑青を纏った高さ35メートルのドーム屋根が特徴で、日本で初めてにして最大級のビザンティン様式の教会建築といわれています。通称はニコライ堂。関東大震災で大きな被害を受けた後、現在の姿は1929年に修復されたものです。

聖橋
御茶ノ水駅の上で神田川をまたぐ聖橋は湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋であることからその名がつけられました。神田川拡幅の大工事跡が確認できます。

昌平坂学問所跡 (近代教育発祥の地)
幕府は朱子学を奨励し林家私塾の学問所を幕府の直轄として1790年(寛政2年)に設立しました。この学問所の存在が大学が集まる神田の発展につながりました。
湯島聖堂
孔子像
湯島聖堂のカイ
1690年(元禄3年)5代将軍綱吉により建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となりました。昌平とは孔子が生まれた村の名前です。関東大震災で焼失し寛政時代を模した鉄筋コンクリート造りで昭和10年に再建されました。孔子像は世界で一番高い孔子像といわれています。

神田明神
神田明神 随神門
江戸幕府が開かれると幕府の尊崇する神社となり、1616年(元和2年)に江戸城の表鬼門守護の場所に幕府により社殿が造営されました。
銭形平次の碑
神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から銭形平次の碑があります。

日本七稲荷 妻恋神社
創建年代は不詳。江戸時代には関東総司稲荷神社とされており、また日本七稲荷の一つに数えられています。

旧万世橋駅
今の中央線に1912年(明治45年)に開業 した駅。かつて東京駅や神田駅ができる以前には一大ターミナル駅として賑わいました。マーチエキュートにジオラマや一部の階段やホームが再現されています。

竹むら (和菓子店)
いせ源 (あんこう鍋)
ぼたん (すき焼き老舗)
かんだやぶそば (蕎麦)
松栄亭 (洋食)
明治・大正の時代から栄えた東京の中心地の一つ、神田須田町。100年以上という時の経過の中で老舗・名店と言われる店が関東大震災や東京大空襲をくぐり抜けてきました。

お玉が池千葉道場跡 (玄武館)
玄武館は千葉周作によって開かれた北辰一刀流の道場。幕末の江戸三大道場の一つに数えられました。
お玉稲荷(お玉が池跡)
お玉ヶ池は江戸初期には不忍池ほどの広さでしたが、埋め立てで安政の頃には小さなものになり、現在ではその跡形もなく、お玉稲荷が祀ってあるだけです。
お玉ヶ池種痘所跡
1858年(安政5年)に天然痘の予防及び治療を目的に設立されました。後に幕府直轄とされ西洋医学所(東京大学医学部の前身)と改名されました。

十思公園
伝馬町牢屋敷跡
石町時の鐘
吉田松陰終焉の地
小伝馬町牢屋敷展示館
伝馬町牢屋敷は高野長英や吉田松陰らも収容されていました。1875年(明治8年)に市ヶ谷監獄が設置されるまで使用されていました。鐘は1711年(宝永8年)に鋳造され、日本橋石町に設置されていました。処刑が行われる日には鐘を撞く時間を少し延ばして、処刑を遅らせたといいます。吉田松陰は安政の大獄によりこの地で最期を迎えました。辞世の句を碑がたてられています。また、展示館では伝馬町牢屋敷跡の内部の精密模型を展示しています。
大安楽寺
伝馬町処刑場跡の碑
吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎などが投獄され、その多くが隣接するここで処刑されました。

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CATEGORIES

D:武蔵野台地を体感する

コース経路

Start JR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口→→End JR新日本橋駅4

ウォーキング距離と歩数

9km 13800歩