東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-7-02 震災戦災慰霊と遺構-2 千住 向島

千住、向島周辺の震災、空襲による戦災の慰霊の碑を訪ねるとともに、その遺構を探訪します。

主な史跡抜粋

坂下平和地蔵尊
昭和34年の建立。昭和20年3月4日にB-29から千駄木・谷中に多数の爆弾が投下され、この防空壕に入っていた赤ちゃ んを含む23人の方が犠牲になりました。

三四真地蔵
昭和24年の建立。昭和20年3月4日の空襲による、この地区の犠牲者70余名を弔う地蔵です。

ドーリットル東京初空襲の地碑
昭和17年4月、米軍の奇襲による帝都東京に対する最初の爆弾投下がこの地となり、東京初空襲となりました。真珠湾攻撃から約4ヶ月後のことでした。B-25爆撃機16機が空母ホーネットより発進し、日本本土への空襲を実施。名称は指揮官のドーリットル中佐に由来。被害は死亡約90人、負傷約460人であったといいます。

空襲に耐えた旧千住郵便局
1929年(昭和4年)に竣工した、山田守設計の現存する数少ない建築。空襲に耐えて今に至る貴重な建築です。

慈眼寺
空襲戦災イチョウ
B29無名戦士慰霊碑
空襲の火災を生き抜いた銀杏。今でも焼け焦げた跡を残しています。また、撃墜された米軍のB-29が足立区に墜落し、搭乗員11名全員が死亡。その霊を供養する慰霊碑です。

千住神社
空襲に耐えたイチョウ
防空壕跡
創建は926年(延長4年)という古社。昭和20年4月10日、空襲により神社に爆弾が投下され神社は焼失。このイチョウも燃えましたが今も生き続けます。また防空壕は半地下構造。膝をかがめた状態で大人なら10人程度は入れる空間です。

源長寺の空襲戦災大クヌギ
大楠はこの地域に多く見られたが、昭和 20年にこの最後の一本を焼失し、切株が現存しています。

円通寺 大東亜戦争殉難者之碑とぬれ仏
1968年(昭和43年)の建立。「ぬれ仏」と呼ばれる地蔵が立っています。空襲で焼けこげて痛ましい姿になっています。円通寺の見どころは、寛永寺の弾痕が残る黒門、彰義隊戦死者の墓があります。コースA-1-16上野戦争 彰義隊と新政府軍の戦いを参照。

飛木稲荷神社 空襲戦災大イチョウ
昭和20年3月10日の東京大空襲で神社の本殿も焼失。この樹齢500年ともいわれるイチョウの木も炎に包まれました。

言問小学校(旧言問国民小学校)
1936年(昭和11)の竣工。空襲をかいくぐった校舎です。震災復興で鉄筋コンクリート製小学校舎が建てられたが、墨田区で今現存しているのはここだけです。

言問橋両岸の空襲で焼け焦げた石柱
1928年(昭和3年)に震災復興橋梁として竣工。1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲の際の焼け焦げた石柱が今なお残っています。東京大空襲の際、浅草方面から避難しようとする人と、その反対側に渡ろうとする人が橋上で交叉し身動きがとれず、荷車も通行を妨げた。そこへ火が燃え移り橋上はたちまち大火炎に包まれ1万人が犠牲になったといわれます。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start JR日暮里駅南改札→→JR日暮里駅南改札→→舎人ライナー熊野前駅荒川線口→→都電熊野前駅→→千代田線北千住駅南改札口→→千代田線北千住駅南改札口→→東武伊勢崎線曳舟駅西口 →→ End東武伊勢崎線スカイツリー駅

ウォーキング距離と歩数

13km 20000歩