東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-5-02 軍都東京-2 文京 新宿

江戸の大名屋敷跡の広大な土地は明治期に入ると政府に収用され、富国強兵の政策のもとで多くは陸軍の用地となりました。かつて東京にあった軍施設の面積は世界でも類を見ないほどで、まさに軍都東京でした。

例えば東京ドームと小石川後楽園には東京砲兵工廠が、お茶の水女子大など茗荷谷の分教地区には広大な大塚弾薬庫が、戸山公園の箱根山や早稲田大学理工一帯には陸軍戸山学校、練兵場、射撃場が展開していました。いずれも元は大名屋敷でした。今日、軍施設は消滅し、文教地区や公園などのランドマーク的施設になっていますが、随所に残っている軍都の痕跡を探索します。

主な史跡抜粋

陸軍砲兵工科学校跡
1872年フランス陸軍のルボン大尉が小石川に伝諸工集会所を開設、1896年(明治29年)に陸軍砲兵学校となりました。諸工伝習所跡の石碑もあります。

旧東京砲兵工廠射撃場
水戸藩江戸上屋敷跡に作られた東京砲兵工廠の試射試験場です。主に三八式歩兵銃等の小銃の試射試験場で、トンネルの全長は230mあったといいます。

東京工廠跡 基礎レンガ
東京ドームホテルの裏側に東京砲兵工廠 の土台であった基礎レンガが展示されています。建設の際に地下5mからやっと取り出したものです。

東京工廠跡記念碑
関東大震災によりその工場等施設は打撃を受け、1933年(昭和8年)に九州の小倉に移転しました。工廠が移転した際に陸軍によって昭和10年に建てられた記念碑です。

東京工廠跡 弾丸製造機の部品
後楽園の内部、説明板はありませんが、九八屋の前に円盤状のものが造弾器の一部といわれています。

大塚弾薬庫跡地の壁
大塚陸軍弾薬庫は1890年(明治23年)に設置され、1928年 (昭和3年)に板橋へ移転しました。その跡地にお茶の水女子大が移転してきました。

護国寺
音羽陸軍埋葬地英霊の塔
日清戦争以来の東京第一師団、近衛師団などの戦死者を埋葬。戦後、護国寺によって縮小された形になっています。

近衛騎兵連隊の兵舎(外から)
今でも学習院女子大の研究室などとして使われています。現代的に補修されていますが、これだけ大きなレンガ建築が残っているのは貴重です。

明治天皇射的砲術天覧所跡
1882年(明治15年)に近衛射的場が完成しました。明治天皇の行幸があり境内よりその射撃演習を天覧になられました。

射撃場土塁の跡
近衛射的場が作られ、周りは土塁で囲まれていました。その土塁の形跡が地形から読み取れます。

戸山・野外演奏場跡
陸軍戸山学校の野外演奏場跡です。陸軍戸山学校では軍楽隊の訓練も行われていました。

箱根山 (陸軍戸山学校)
1873年(明治6年)に旧尾張藩下屋敷跡に陸軍兵学寮戸山出張所が設置され、陸軍戸山学校と改称されて終戦まで存続していました。

旧陸軍将校会議室跡
戸山学校の将校集会所として使われていたという建物が現存しています。半地下式石造りの部分が将校集会所の跡とされています。現在は戸山教会・戸山幼稚園として使用されています。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start丸の内線後楽園駅a4→→有楽町線飯田橋駅C2→→有楽町線護国寺駅5→→都電東池袋四丁目駅→→副都心線西早稲田駅2→→End副都心線西早稲田駅3

ウォーキング距離と歩数

13km 20000歩