東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-5-01 軍都東京-1 皇居周辺

江戸の大名屋敷跡の広大な土地は明治期に入ると政府に収用され、富国強兵の政策のもとで多くは陸軍の用地となりました。かつて東京にあった軍施設の面積は世界でも類を見ないほどで、まさに軍都東京でした。

例えば日本武道館のある北の丸公園には近衛師団があり、明治神宮外苑には青山練兵場が、国会議事堂の前庭辺りには陸軍省と参謀本部、陸軍大臣官邸が、東京ミッドタウンには陸軍第一 師団歩兵第一連隊が、新国立美術館には陸軍第一師団歩兵第三連隊が、赤坂のTBS一帯には近衛歩兵第三連隊が駐屯していました。今日、軍施設は消滅しましたが、随所に残っているその痕跡を丹念に探索していきます。

このコースの一部は、ブログ「江戸城を極める 清水門から北の丸、田安門へ」、「江戸城を極める 千鳥ヶ淵から半蔵門へ」、「江戸城を極める 三宅坂から外桜田門へ」に実際の街歩きレポートがありますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

海軍経理学校の碑
海軍主計学校から1907年(明治40年)に海軍経理学校と改称されて創設され、終戦で海軍が解体されるまで続きました。

幕府の軍艦操練所
江戸幕府が幕末に海軍士官の養成のために築地に設置しました。教授陣には勝海舟、ジョン万次郎などがあたり、海軍の先駆けとなりました。

旗山の碑(海軍発祥の地)
海軍本省が1872年(明治5年)に創立され、海軍卿旗を掲揚し「旗山」と呼ばれました。後に水神社境内に海軍発祥の「旗山の碑」が設置されました。

海軍軍医学校跡の碑
1873年(明治6年)、海軍病院付属学舎として創立。1929年(昭和4年)に築地に新築移転され、現在は国立がん研究センター中央病院となっています。

九段会館(226事件戒厳司令部)
旧称は軍人会館。 226事件で戒厳司令部 が置かれた建物です。再開発により既に解体され、城郭風の様式を残した腹巻ビルに2022年に建替え予定とのことです。

近衛歩兵第一連隊碑
近衛歩兵第二連隊碑
北の丸は江戸中期は田安、清水徳川家が上屋敷を構え、明治からは近衛師団司令部、兵営地が設置されました。

旧近衛師団司令部
1910年(明治43)に竣工。震災や空襲に 耐えた数少ない明治洋風建築です。当時は近衛兵になることは大変な名誉でした。 北白川宮能久親王銅像も必見です。

高射機関銃の台座
戦争末期にB29の空襲から皇居を防衛するために築かれた高射砲の砲台座7基がひっそりと現存しています。

旧陸軍軍医本部(最高裁判所)
裸婦像 (旧寺内正毅総理大臣像)
かつてここに陸軍軍医本部と寺内元帥騎馬像がありました。裸婦像は戦後に電通が作った広告功労者顕彰の記念碑です。

国会前庭
旧陸軍省参謀本部
日本水準原点
この地に陸軍参謀本部がありました。水準原点は参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)の痕跡です。明治期の数少ない近代洋風建築として貴重です。

近衛第三連隊跡碑
近衛師団にもかかわらず226事件に将兵 の一部が参加し、大蔵大臣高橋是清を殺害した部隊です。ここの兵舎から出撃しました。

歩一の碑
歩一とは陸軍第一師団歩兵第一連隊の略称で、226事件で多数の将兵が参加した部隊です。旧防衛庁から東京ミッドタウンに再開発され、碑が移築されました。

国立新美術館
第一師団歩兵第三連隊兵舎
226事件で反乱将校らがこの兵舎から出撃しました。兵舎建築としては日本初の本格的な鉄筋コンクリート造りでした。1928年(昭和3年)に建てられた兵舎は戦後、旧東大生産技術研究所として使われました。旧兵舎は取壊され、一部が「国立新美術館別館」として保存されています。国立新美術館の中に兵舎のジオラマがあります。

御所トンネル(丸の内線ホームから)
1894年(明治27年)、陸軍の強い要望により青山練兵場を経由するルートで新宿駅~飯田橋駅間が延伸されました。現在の中央線です。反対が多い中で陸軍のゴリ押しにより、畏れ多くも赤坂御料地の敷地の一部にトンネルを敷設しました。丸の内線四ツ谷駅の荻窪方面ホーム後方から見えます。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start大江戸線勝どき駅A1→→大江戸線築地市場駅A3→→東西線九段下駅4→→千代田線乃木坂駅3→→丸の内線四谷駅→→End丸の内線四谷駅

ウォーキング距離と歩数

13km 20000歩