東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-2-09 雑司ヶ谷に眠る文芸人たち 金田一京助 泉鏡花ほか

金田一京助 泉鏡花 永井荷風 小泉八雲
奇しくも同じ雑司ヶ谷霊園に眠る4人の文芸人に焦点を合わせ、東京での足跡を辿りながら雑司ヶ谷に墓所を訪ねます。

主な史跡抜粋

浄閑寺 (遊女の投込み寺)
永井荷風文学碑
浄閑寺は吉原遊郭の遊女の「投げ込み寺」でした。荷風は浄閑寺を好んで訪れており、詩碑と筆塚が建立されました。昭和38年、谷崎潤一郎などが中心となって建立されました。詩碑の横の塚には荷風の小筆と歯が納められています。

湯島天神 泉鏡花の「筆塚」
昭和17年に建てられた泉鏡花の筆塚があります。鏡花が使用した数百本の筆が埋めてあります。

金田一京助・春彦の旧居跡
金田一京助、長男の春彦は明治から現在まで代表する言語学者の親子で、大正時代に住んでいた旧居が現存しています。春彦はここで生まれました。

永井荷風生家跡
荷風はこの地に生まれ、約13年間住んでいました。荷風は、後に『狐』『日和下駄』などの作品で当時の生活の様子を著しています。

泉鏡花旧居跡 (北原白秋旧居跡)
明治32年、鏡花は神楽坂の芸妓(本名伊藤すず)と親しくなり借金してこの借家に同棲するようになりました。この場所は、北原白秋の旧居地(明治41年~)でもあります。

泉鏡花旧宅跡
赤城神社に近くにある泉鏡花の居跡のひとつで、泉鏡花はここに明治32年から4年間住んで、この地で「高野聖」などを発表しました。

泉鏡花旧居跡・終焉の地
泉鏡花が明治43年から死去まで、「婦系図」のモデルでもあった愛妻すずとここで暮らしました。「夜叉ヶ池」や「天守物語」などはここで生まれました。

小泉八雲旧居跡
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)はギリシャで生まれたアイルランド人です。東京帝国大学で英文学を教えるため上京、この地に約5年間住みました。

永井荷風旧居 断腸亭跡
渡仏していた荷風が、明治41年に帰国して約10年間を過ごした地です。慶応大学で教鞭をとるかたわら、数々の秀作を手がけました。腸を病んで、「断腸亭」と呼ぶ離れを建てました。

小泉八雲終焉の地
晩年に居住し亡くなった場所です。周辺の喧騒を嫌い、明治35年この地へ転居しました。執筆活動に加え、明治37年からは早稲田大学でも教鞭をとりました。
小泉八雲記念公園
出身地であるギリシャをイメージし、石柱など白を基調に作られています。園内には小泉八雲の生涯を紹介する碑や胸像が設置されています。

雑司ヶ谷霊園
金田一京助の墓所
1882~1971年(昭和46)、90歳で死去 言語、民族学者、アイヌ語研究 石川啄木の親友
泉鏡花の墓所
1873~1939年(昭和14)、66歳で死去 尾崎紅葉に師事
永井荷風の墓所
1879~1959年(昭和34)、80歳で死去 三田文学を創刊
小泉八雲の墓所
1850~1904年(明治37)、54歳で死去 小説家、日本研究家 本名ラフカディオ・ハーン
雑司ヶ谷霊園に眠る有名人はコースF-1-02東京墓マイラー-2雑司ヶ谷霊園で詳細に訪ねます。参照してください。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start日比谷線南千住駅3→→日比谷線南千住駅3→→日比谷線仲御徒町駅A8→→南北線後楽園駅1→→南北線飯田橋駅B4a→→南北線飯田橋駅 B4a→→東西線神楽坂駅2→→東西線神楽坂駅2→→JR四谷駅麹町口→→新宿線市ヶ谷駅4→→新宿線曙橋駅A2→→副都心線東新宿駅B1→→副都心線雑司ヶ谷駅1→→End 有楽町線東池袋駅6

ウォーキング距離と歩数

16km 25000歩