東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-2-08 青山に眠る文芸人たち 斎藤茂吉 尾崎紅葉ほか

斎藤茂吉 尾崎紅葉 志賀直哉 国木田独歩
奇しくも同じ青山霊園に眠る4人の文豪に焦点を合わせ、東京での足跡を辿り墓所を訪ねます。

青山霊園はブログ「青山霊園に眠る有名人-1 (東京墓マイラー)」の街歩きレポートに収録されていますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

斎藤茂吉歌碑
この地で茂吉は65歳から3年間過ごしました。住民らの寄付で最後の歌集「つきかげ」に収められた歌の歌碑が建てられました。

国木田独歩住居跡
独歩は明治29年からこの地に住みました。ここでの生活や風光をもとに、有名な「武蔵野」などの名作を書きました。翌30年に転居しました。

斎藤茂吉終焉の地
茂吉が昭和25から亡くなるまでの晩年の約2年間を過ごした場所です。体調も優れないなか、二冊の歌集『石泉』『霜』を刊行し、文化勲章も受章しました。

志賀直哉旧宅跡
昭和13年より昭和15年の2年余をこの地に夫人並びに6人の子女と居みました。この間、大作「志賀直哉全集」(全9巻)を完結、発表しました。

尾崎紅葉旧居跡
紅葉が明治24年から明治36年に死去するまでの12年間居住し、この地で代表作の「金色夜叉」など多くの作品を執筆しました。

尾崎紅葉生誕地
17歳で仲間を集めて、日本初の文学団体「硯友社」を結成、「我楽多文庫」が発行されました。19歳の時、増上寺の紅葉山からとった「紅葉」を号しました。

志賀直哉旧居跡の碑
この地で14歳から29歳までを過ごしました。裕福な家に生まれた直哉は広大な邸宅に住み、当時高価だった自転車を乗り回していたといいます。

齋藤茂吉歌碑
茂吉はこの地で養父が創設した病院の経営と診療に携わっていました。マンションの入口に「あかあかと一本の道通りたり ~」の歌碑があります。

齋藤茂吉歌碑
茂吉はこの地で養父が創設した病院の経営と診療に携わっていました。マンションの入口に「あかあかと一本の道通りたり ~」の歌碑があります。

青山霊園
斎藤茂吉・茂太の墓所
1882~1953年(昭和28)、71歳で死去 茂太は茂吉の長男で精神科医、随筆家
尾崎紅葉の墓所
1868~1903年(明治36)、35歳で死去 泉鏡花 徳田秋声は弟子
志賀直哉の墓所
1883~1971年(昭和46)、88歳で死去 白樺派 小説の神様
国木田独歩の墓所
1871~1908年(明治41)、38歳で死去 婦人画報の創刊者
青山霊園に眠る有名人はコースF-1-01東京墓マイラー-1青山霊園で詳細に訪ねます。参照してください。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start小田急線世田谷代田駅南口→→小田急線世田谷代田駅南口→→JR渋谷駅A6b→→JR原宿駅東口→→丸の内線新宿御苑前駅2→→丸の内線新宿御苑前駅2→→JR高田馬場駅戸山口→→JR高田馬場駅戸山口→→東西線神楽坂駅1a →→東西線神楽坂駅1a→→三田線御成門駅A2→→大江戸線大門駅A3 →→大江戸線六本木駅6→→End千代田線乃木坂駅6

ウォーキング距離と歩数

15km 23000歩