東京街歩きコース内容

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B-2-07 文芸人の足跡-7 森鴎外

鴎外は1881年(明治14年)東京大学医学部を卒業、しばらく千住で開業していた父の病院を手伝ってから陸軍の軍医となりました。1884年に念願のドイツに留学。帰国後は翻訳など文学活動も行い若くして文名を高めました。

しかし軍医と文学者との二重生活はトラブルを生み暫く文学は自重。1907年、45歳で陸軍省医務局長に就任し、これを契機に文学活動を全面的に再開させ、長短の現代小説、歴史小説を相次いで発表しました。以降も官職につきながら旺盛に創作活動を続け、1922年(大正11)萎縮腎と肺結核により60歳で死去しました。小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医、官僚であった鴎外の東京での足跡を辿ります。

主な史跡抜粋

森鴎外旧居・橘井堂森医院跡
鴎外の父は明治14年、橘井堂医院をこの地に開業しました。鴎外は19歳で東大医学部を卒業後、暫くこの医院を手伝っていました。

森鴎外旧居跡
10歳で父と上京し多感な幼少期を過ごしました。「鷗外」「牽舟居士」など、この地に由来したペンネームをつけるほど強い愛着を抱いていました。

鴎外旧居(水月ホテル鴎外荘)
明治22年から20代後半の鴎外が最初の妻登志子と新婚時代を過ごし、「舞姫」「うたかたの記」「於母影」などを執筆しました。ホテル中庭に築約130年の鴎外の旧居が現存しています。外からは見えません。このホテルは元々旧居の隣に創業。売りに出されていた旧居を保存するため、ホテル創業者が購入して現在の名前に改めました。水月ホテル鴎外荘は2020年5月に閉館を発表しましたが、2021年に一部再開となっています。見学可否などは不明です。

根津神社
森鷗外碑銘水
文豪の石
森鴎外が明治37年に日露戦争戦利で奉納した砲弾を飾る台座跡があります。現在は水飲み場として利用され森鷗外碑銘水と呼ばれています。森鴎外も夏目漱石も足繁く通い、この石に座って思索に耽ったといいます。

森鴎外旧居跡(千朶山房)
鴎外は結婚1年余りで離婚し、明治23年~25年までこの家に住んでおり「千朶山房」と呼んでいました。鷗外の転居後、同じ家に夏目漱石が移り住みました。現在は「猫の家」として碑が建っています。

森鷗外記念館 (観潮楼) (有料)
観潮楼は、1892年(明治25年)鴎外が30歳のときから、大正11年に60歳で亡くなるまで住んだ家です。2階からは海が見えたということです。ここで「即興詩人」「ヰタ・セクスアリス」「青年」「雁」 「阿部一族」「山椒大夫」「高瀬舟」などの代表作を次々に執筆して発表しました。明治40年から「観潮楼歌会」を行い、与謝野晶子、鉄幹、伊藤左千夫、石川啄木、斎藤茂吉など大勢の文学者が観潮楼を訪れました。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start千代田線北千住駅2→→東武伊勢崎線北千住駅2→→東武伊勢崎線曳舟駅西口→→浅草線押上駅A3→→銀座線上野駅不忍口→→End千代田線千駄木駅

ウォーキング距離と歩数

7km 11000歩