東京街歩きコース内容

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B-2-06 文芸人の足跡-6 正岡子規

正岡子規は1867年(慶応3年)伊予に生まれ、幼少から漢詩や戯作などに親しみました。漢文を学ぶための東大予備門では夏目漱石らと同窓で友情を深め、大学中退後は俳句の革新運動を開始しました。

子規が最初に喀血したのは1889年(明治22年)でした。1894年に日清戦争の従軍記者として従軍したものの喀血して重態に陥りました。以降は 病床にありながら子規庵にて句会、歌会を開くなど、俳句、短歌の革新に務めましたが、1902年(明治35年)に34歳で死去しました。子規とはホトトギスの異称で、鳴いて血を吐くといわれるホトトギスに喩えたものでした。短い生涯において俳句・短歌の改革運動を成し遂げた子規の足跡を辿ります。

主な史跡抜粋

子規球場 正岡子規の句碑
子規は日本に紹介されて間もない野球を愛好し上野公園で野球を楽しんでいました。正岡子規記念球場に「春風や まりを 投げたき草の原」の句碑があります。

五條天神社 正岡子規の句碑
上野公園内の五條天神社鳥居の脇に「みちのくへ 涼みに行くや 下駄はいて」「秋風や 旅の浮世の 果て知らず」の句碑があります。

真源寺(入谷鬼子母神) 正岡子規の句碑
「漱石来る 舜や 君いかめしき 文学士」 「入谷から 出る朝顔の 車哉」の碑があります。

鷲神社 正岡子規の句碑
境内右に「雑閙や 熊手押あふ 酉の市」の碑があります。江戸下町を代表する神社で「おとりさま」と称されています。酉の市で有名で、樋口一葉の胸像と文学碑も必見です。

御行の松不動尊 正岡子規の句碑
「薄緑 お行の松は 霞みけり」の句碑があります。江戸期から根岸の大松と人々に親しまれ、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれた名松で、現在の松はその4代目です。

根岸小学校 正岡子規の句碑
「雀より 鶯多き 根岸かな」の句碑があります。当時は田畑があり、文人墨客が住む地域でした。鶯が多く鶯の里とも呼ばれました。

笹乃雪 正岡子規の句碑
「蕣に 朝商ひす 笹の雪」「水無月や 根岸涼しき 笹の雪」の句碑があります。笹乃雪は創業320余年の老舗の豆富料理店です。根岸の地で晩年を過ごした正岡子規をはじめ、文人や花柳界、政治家など、著名人にも親しまれてきました。

子規庵(子規終焉の地) (有料)
「をとゝひの へちまの水も 取らざりき」「糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな」「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」の句碑があります。明治27年、27歳で子規庵に転居し、1902年(明治35年)に34歳で死去するまでを過ごしました。子規庵の建物は空襲で消失しましたが戦後に復元されたものです。

羽二重団子 正岡子規の句碑
「芋坂も 団子も月の ゆかりかな」の句碑が店の脇に建っています。1819年(文政2年)創業の団子屋さんです。「藤の木茶屋」でしたが、団子がきめが細かくて羽二重のようだと称され、そのまま「羽二重団子」となりました。現在も営業中です。

大龍寺 正岡子規の墓所
子規は日頃から静かな寺に葬って欲しいと弟子に話しており、この寺が選ばれたそうです。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start JR上野駅公園口→→JR上野駅公園口→→日比谷線入谷駅2→→JR日暮里駅南改札口→→JR田端駅北口→→End JR駒込駅東口

ウォーキング距離と歩数

9km 13800歩