東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-2-04 文芸人の足跡-4 石川啄木

啄木は盛岡で生まれ、盛岡中学校を中退後に上京し、与謝野鉄幹の新詩社に入り処女詩集「あこがれ」を発表。しかし生活には常に困窮し、職を求めて北海道を放浪したのち、1908年(明治41年)に再度上京しました。

上京後、中学の先輩の金田一京介から金銭を含むさまざまな支援を受けながら、1910年、24歳で歌集「一握の砂」を発刊、歌人としての地位を築きました。しかし借金を繰り返すような困窮は変わらず、1912年(明治45年)に結核で死去。享年26歳でした。死後に代表作となる歌集「悲しき玩具」が出版されました。生活感情を素直に表現した歌人、啄木の東京での足跡を辿ります。

主な史跡抜粋

石川啄木最初の下宿跡
盛岡中学校を卒業直前に退学させられ、文学で身を立てるために上京して最初に下宿した場所です。案内板があります。

石川啄木終焉の地
石川啄木顕彰室
明治44年、啄木は家族と共に本郷の喜之床からこの地に移った。啄木も母も病身でした。1912年(明治45年)結核のため26歳で死去。文字どおり薄幸にして流亡の生涯でした。顕彰室には啄木の足跡を写真やパネル、年表等で展示してあります。

石川啄木旧居・喜之床跡
啄木は、1908年(明治41)上京してから赤心館、蓋平館の後に、函館から妻子と母を呼び寄せて床屋(喜之床)の六畳二間の間借り生活を始めました。

赤心館跡 (石川啄木・金田一京介旧居)
明治41年に石川啄木が京助を頼って上京し、最初に京助と同宿したのが赤心館です。同郷で親友であり、精神面や金銭面で多大な援助を受けていました。

石川啄木 切通坂歌碑
「二晩おきに 夜の一時頃に切通の坂を上りしも~」の句碑が春日通り脇にポツンと建っています。啄木が朝日新聞社の夜勤の帰りに通った坂でした。

石川啄木の歌碑
「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ご みの中に~」の句碑が商店街の道端に設置されています。1986年(昭和61年)の建立、書は金田一春彦のもの。

等光寺(石川啄木葬儀場)
石川啄木の歌碑
啄木の顔のレリーフを彫り込んだ啄木歌碑があります。一握の砂にある「浅草の 夜のにぎはひに まぎれ入り~」葬儀は啄木の親友の土岐善麿(歌人・国学者)の生家であった等光寺で行われ、漱石も参列しました。啄木の死後、土岐により第二歌集「悲しき玩具」出版されました。

上野駅15番線 石川啄木歌碑
上野駅構内15番線の片隅に「ふるさとの 訛なつかし 停車場の人ごみの中に~」 の句碑が置かれています。昭和55年に30周年を記念に設置されました。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start有楽町線江戸川橋駅1a→→丸の内線茗荷谷駅1→→丸の内線本郷三丁目駅1→→銀座線上野駅不忍口→→銀座線田原町駅2→→End JR上野駅不忍口

ウォーキング距離と歩数

9km 13800歩