東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-2-03 文芸人の足跡-3 夏目漱石

漱石は1867年(慶応3)、江戸牛込の名主の子に生まれました。17歳のとき正岡子規と出会い友情を深めました。東京帝国大学英文学科へ入学、秀才ぶりを発揮しました。

卒業後は松山中学,五高教師を経て1900年、33歳のときに英国へ留学しましたが、留学中に神経衰弱に陥ってしまい帰国。帰国後に高浜虚子に小説を勧められ、「吾輩は猫である」を執筆しました。続けて「坊ちゃん」などを発表し一躍人気作家となりました。明治43年、43歳のときに胃潰瘍を患い療養生活となり、49歳で再発し、その短い生涯を閉じました。漱石の誕生から死亡までの大半を過ごした東京での足跡を辿ります。

主な史跡抜粋

夏目漱石誕生の地碑
漱石は1867年(慶応3年)、名主の子としてこの地に生まれました。碑は昭和41年、漱石生誕100年を記念して建てられたものです。

漱石公園(漱石山房)
夏目漱石終焉の地
道草庵
漱石胸像 猫の墓
1907年(明治40)から1916年(大正5)に漱石が亡くなるまで過ごした「漱石山房」がありました。この地で「三四郎」「それから」「こころ」といった代表作を執筆しました。
漱石山房記念館(有料)
漱石生誕150年を記念して平成29年作られました。漱石山房の書斎、客間、ベランダ式回廊を忠実に再現してあります。

吾輩は猫である 碑
「吾輩は猫である 名前はまだ無い」の碑が、現在のお茶の水小学校(前身は漱石が卒業した錦華小学校)にあります。

東京大学 三四郎池(育徳園心字池)
漱石の長編小説「三四郎」のモチーフとなった三四郎池。漱石の小説の影響で三四郎池と通称されるようになりました。

根津神社 文豪の石
森鴎外も夏目漱石も足繁く通い、この石に座って思索に耽ったといいます。

夏目漱石の旧居跡 (猫の家)
イギリス留学から帰国後の明治36年から3年間住みました。東京帝国大学で教職にあった漱石が「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」を執筆した場所です。

雑司ヶ谷霊園 夏目漱石の墓所
夏目漱石は胃潰瘍が再発して大正5年に49歳で亡くなりました。とても大きい墓碑で、イスの形をしています。漱石の墓所近くの見どころは 竹久夢二 ジョン万次郎 金田一京助の墓所など。コースF-1-02東京墓マイラー雑司ヶ谷霊園で詳細に訪れますので参照ください。

次のコースB-2-04文芸人の足跡 石川啄木を見る

CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start東西線早稲田駅3a→→東西線神楽坂駅2→→新宿線神保町駅A5→→新宿線神保町駅A5→→三田線春日駅A6→→南北線本駒込駅1→→都電雑司ヶ谷駅→→End有楽町線東池袋駅5

ウォーキング距離と歩数

10km 15400歩