東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-1-02 明治の重鎮 伊藤博文と大久保利通

明治維新後の新政府の中心で近代日本の礎を築いた二人の東京での足跡を辿ります。

薩摩藩下級藩士だった大久保利通は維新三傑と呼ばれ、敵対していた長州藩と薩長同盟を結び討幕派の中心になって新政府樹立までこぎ着けました。明治維新後は富国強兵、殖産興業に邁進しましたが、1878年に不平士族により暗殺されました。享年47歳でした。

伊藤博文は大久保の信任も厚く、大久保の跡を継いで日本を牽引し、初代を含め総理大臣を4回務め、大日本帝国憲法の創案など、近代化をさらに押し進めました。1909年ハルピン駅にて凶弾に倒れました。享年69歳でした。

大久保利通 高輪別邸跡はブログ「高輪、三田の街歩きウォーキング (概要編)」、青山霊園 大久保利通の墓所はブログ「青山霊園に眠る有名人-1 (東京墓マイラー)」の実際の街歩きレポートに収録されていますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

伊藤博文の墓所(門から覗く)
墓は神式の高さ約2mの円墳が特徴です。別邸の近くであったこの地に埋葬されました。非公開ですが、門から垣間見ることができます。

伊藤博文別邸移築門・門扉
伊藤にちなんでつけられた品川区立伊藤学園の旧正門は、昭和25年に伊藤博文邸から譲り受け移築された門柱と門扉で現存しています。

伊藤博文別邸跡
別邸とともに移築された憲法草案の審議場であった元赤坂仮皇居会食所(恩賜館) は、その後明治記念館として利用されています。

大久保利通 高輪別邸跡
この一帯は大久保山とも呼ばれ、主のいなくなった大名屋敷跡を利用して三万坪にも及ぶ大久保の別荘がありました。大久保利通を祀る祠があります。

大久保利通終焉の地
明治10年西南戦争でかつての盟友であった西郷隆盛が亡くなってしまうが、大久保利通もその翌年に暗殺されました。1878年(明治11年)明治天皇に謁見するために裏霞ヶ関の自邸を馬車で出発し赤坂の仮皇居に向かう途上、6名の太政官政治に不満を持つ不平士族により暗殺されました。紀尾井坂の変と呼ばれています。
贈右大臣大久保公哀悼碑
明治21年、大久保を偲んで殉難の地に近い清水谷公園に大久保公哀悼の碑が建立されました。

青山霊園 大久保利通の墓所
西南戦争で故郷薩摩と西郷を敵に回した大久保の遺体は薩摩に行くことができずに青山霊園に葬られました。青山霊園の墓所の見どころは多いです。 コースF-1-01東京墓マイラー1を参照して立ち寄ってください。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start JR西大井駅→→JR大井町駅中央東口→→JR品川駅高輪口→→南北線白金台駅2→→銀座線赤坂見附駅A→→End半蔵門線外 苑前駅4a

ウォーキング距離と歩数

10km 15400歩