東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

B-1-01 明治の重鎮 大隈重信と福沢諭吉

並み居る明治の重鎮でよく対比されるのが福沢諭吉と大隈重信です。著書「学問のすすめ」に代表される啓蒙思想家を貫いた福沢に対して、大隈が明治政府の中枢で活躍した政治家という活躍の場は違いました。

一方で、二人は同じ九州出身で歳も同年代、ともに日本を代表する私学を創設した点は共通です。逸話では、二人はいつしか懇意となり、大隈の早稲田大学創設には福沢諭吉の助言や援助が多々あったといいます。啓蒙思想家と政治家という別の道を歩みながら、激動の幕末~明治を駆け抜けた二人の東京での足跡を辿ります。

福沢諭吉の墓所はブログ「麻布十番のぶらり歴史散歩」、慶應大学は「三田のぶらり歴史散歩-2 慶應大学」、慶應義塾発祥の地記念碑は「築地のぶらり歴史散歩」の実際の街歩きレポートに収録されていますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

常光寺 福澤諭吉先生永眠の碑(墓所跡)
1977年(昭和52)に善福寺に改葬されるまで福沢諭吉の墓がありました。諭吉の墓は本願寺が管理していた墓地に埋葬されました。ところが明治42年に常光寺が土地を譲り受け移転して常光寺の境内に入った経緯があります。この墓所の跡には義塾と縁の深い建築家谷口吉郎博士設計の記念碑が建っています。

善福寺 福沢諭吉の墓所
諭吉の葬儀は菩提寺である善福寺で、墓地は希望により本願寺(現 常光寺)に埋葬。1977年に当地に改葬されました。
初代アメリカ公使宿館跡
1859年(安政5年)に日米修好通商条約に基づき初代アメリカ公使ハリスに公使館として使われました。善福寺のその他の見どころ・勅使門・越路吹雪碑・善福寺の大銀杏 (樹齢750年以上)

慶應大学
福澤諭吉像 (三田キャンパス)
福沢諭吉終焉の地
福沢諭吉旧居跡
1871年(明治4年)、三田の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ築地より移転。明治以後、官公私立問わず、近代日本の教育制度、大学制度の立ち上げモデルとなりました。

慶應義塾発祥の地記念碑
藩命により築地鉄砲洲の中津藩中屋敷に1858年(安政5年)に開校した「蘭学塾」が起源。碑は昭和33年に慶應義塾創立百年を記念して谷口吉郎設計にて建立。1868年(慶應4年/明治元年)、年号をとって「慶應義塾」と塾名を改めました。

大隈重信邸跡
大隈重信は1876年(明治9年)から8年間、この雉子橋邸宅に居を構えました。

早稲田大学
大隈重信像
1882年(明治15年)に大隈により創設された東京専門学校が前身。1902年(明治35年)に早稲田大学と名を改めました。
大隈庭園 大隈綾子銅像
旧大隈邸。井伊掃部頭松平讃岐守の下屋敷を大隈重信が庭園として整備しました。地蔵山に夫人の銅像があります。

護国寺
大隈重信の墓所
1898年と1914年に内閣総理大臣を務め、教育者としても早稲田大学を創設。1922年(大正11年)、85歳で死去し国葬となりました。

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CATEGORIES

B:明治から昭和初期の東京

コース経路

Start三田線白金台駅1 →→南北線白金台駅2→→南北線麻布十番駅1→→浅草線三田駅A3→→日比谷線築地駅3b→→日比谷線築地駅3b→→東西線九段下駅4→→東西線九段下駅4→→東西線早稲田駅3b→→都電早稲田駅→→有楽町線護国寺駅3 →→End有楽町線護国寺駅3

ウォーキング距離と歩数

10km 15400歩