東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-5-03 江戸の六地蔵-1 東禅寺 浄名院 真性寺

江戸六地蔵とは地蔵坊正元が1706年(宝永3年)に京都の六地蔵に倣って発願し、江戸から伸びる六街道の出入り口に江戸庶民の道中往来の安全や世間の平穏を祈願し建立されました。

建立は江戸中期の5代将軍綱吉から8代将軍吉宗までの12年間にわたり、いずれも全高3m程の日本最大の鋳造大地蔵です。第六番の永代寺の地蔵は富岡八幡宮の二の鳥居付近にありましたが、廃寺になり取り壊されました。代仏が上野の浄名院に祀られています。このコースでは、江戸六地蔵のうち東禅寺、代仏の浄名院、真性寺の3地蔵とその周辺の見どころを余裕を持って巡ります。

主な史跡抜粋

東禅寺 地蔵菩薩坐像 (江戸六地蔵)
1710年(宝永7年)に2番目の江戸六地蔵として日光街道の旅人の安全を祈願して建立されました。
木村安兵衛・文女夫妻座像
パンの銀座木村屋総本店の創業者。安兵衛が明治7年に考案 した酒種あんぱんが原点です。

春慶院 高尾大夫の墓所
1710年(宝永7年)に2番目の江戸六地蔵として日光街道の旅人の安全を祈願して建立されました。
木村安兵衛・文女夫妻座像
吉原の代表的名妓・二代目高尾太夫の墓があります。墓は仙台候の内命により建てられたといわれています。高尾大夫は絶世の美女で教養も高かったといわれ、その墓も巣鴨の西方寺にもあります。

山谷ドヤ街
ドヤ街とは激安な簡易宿泊所(ヤド)が立ち並ぶ街のことを言います。日本三大ドヤ街の一つでした。六地蔵とは全くもって無縁ですが、道すがら寄ります。
浅草署 日本堤交番
昭和34年に発足。山谷地区の交番で「マンモス交番」の愛称で知られ、騒動のたびにニュースに登場していました。

小塚原 回向院
吉田松陰 橋本左内の墓
1859年(安政6年)、安政の大獄により吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎などは伝馬町牢屋敷で斬首となりました。その後、遺体は引き取られ回向院に埋葬されました。
観臓記念碑
前野良沢、杉田玄白らが刑死者の腑分に立合い、解体新書を翻訳出版。
延命寺(刑場跡) 首切り地蔵
1741年(寛保元年)小塚原の刑場の片隅に刑死者を弔うために建立されました。

浄名院 (へちま寺) 地蔵菩薩坐像 (江戸六地蔵)
永代寺の廃寺により6番目の地蔵尊像も破壊されました。6番の代仏がここ浄名院に祀られています。
八万四千体地蔵
1879年(明治12年)に住職妙運大和尚が84,000体の地蔵菩薩像の建立を発願したのが起源。地蔵菩薩像の数は増え続けています。

寛永寺 根本中堂
旧寛永寺は1625年(寛永2年)、3代将軍家光により建立されました。境内は上野の山全体に広がり壮大でしたが上野戦争により主要な伽藍を焼失し焼け野原になりました。現在の寛永寺は1879年(明治12年)、川越の喜多院本地堂が移築されたものです。

旧因州池田屋敷表門 (黒門)
元は丸の内にあった因州(鳥取藩)池田家江戸上屋敷の正門です。大名屋敷表門では東京大学の赤門と並び称さる程です。

旧寛永寺 本坊表門 (黒門)
寛永年間(1624-43年)に建立。この門は上野戦争の戦火を免れ、門扉には戦闘の時の弾痕が残っています。

真性寺 地蔵菩薩坐像 (江戸六地蔵)
真性寺は、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建したと伝えられる古刹です。1714年(正徳4年)に鋳造され、六地蔵の4番目として中山道に設置されました。

高岩寺 とげぬき地蔵尊
1596年湯島にて創建され、1891年(明治24年)に巣鴨に移転。1945年の東京大空襲で建物を全焼し、現本堂は1957年に再建されたものです。本尊はとげぬき地蔵として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。秘仏でなので見れません。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start日比谷線南千住駅南口→→日比谷線南千住駅南口→→JR鶯谷駅北口→→JR鶯谷駅南口→→JR巣鴨駅正面口→→End JR巣鴨駅正面口

ウォーキング距離と歩数

10km 15400歩