東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-5-01 江戸の五色不動を巡る 目赤 目黒 目白 目黄 目青

江戸五色不動は3代将軍徳川家光が天海の建言により5箇所の不動尊を選び、江戸の鎮護と天下泰平を祈願したとされています。江戸の五つの方角、つまり東西南北(青白赤黒)と中央(黄)という具合に不動尊を選んで割り当てました。また五 街道との関連も見られるといいます。

現在では、明治以降の廃寺や統合などで不動尊が移動したため結界の配置効果は消えてしまいましたが、目黒や目白などの地名にその名残を残しています。一方で目黄、目青は明治以降に登場したなど、五色不動伝説には諸説あって、それが歴史の想像をかき立てます。このコースでは、江戸の外周を北から左回りに全ての五色不動を巡ります。

主な史跡抜粋

目黄不動 最勝寺
860年(貞観2年)、円仁により駒形に草創。徳川家の崇拝が篤く、将軍が鷹狩りの際にしばしば立ち寄り「仮の御殿」が置かれました。1912年(大正2年)に現在地へ移転。目黄不動を安置する不動堂があります。この不動明王像は明治維新で廃寺となった東栄寺から移したものです。

目黄不動 永久寺
南北朝時代に開山。その後に転宗を繰り返し、山田浅右衛門家に先立って死刑執行人をつとめた山野永久が刑死者の供養のためにこの寺を再建し、永久寺としました。最勝寺とともに目黄不動を称しています。不動堂の不動尊本体は外から覗くことができます。

目赤不動 南谷寺
1628年(寛永5年)、鷹狩に訪れた三代将軍家光が「赤目不動」と呼ばれていたのを目黒不動・目白不動にちなみ「目赤不動」と呼ぶようにしたといいます。不動堂は開かれていることが多いので、扉の間から不動尊本体を見ることが出来ます。

目白不動 金乗院
目白不動尊は近くの新長谷寺にありましたが、空襲で壊滅な被害を受け廃寺となって、金乗院に移されました。秘仏となっているため、不動堂の内部は普段は見ることができません。
青柳文蔵の墓
江戸時代後期の商人。江戸で儒学を学んで、書籍2万巻を集めて仙台藩に寄贈し日本初の公共図書館といわれている青柳文庫を創設しました。
丸橋忠弥の墓
由井正雪と共に慶安の変(江戸時代初期に起きた幕府転覆事件)に加担したとして1651年に処刑。鈴ヶ森の刑場で磔にされた最初の罪人となりました。

目青不動 最勝寺(教学院)
1311年(応長元年)の創建。赤坂にありましたが、明治44年に現在地に移転。観行寺が廃寺になったことに伴って目青不動尊が教学院に遷されました。目青不動尊は円仁(慈覚大師)の作といいます。秘仏であり、不動堂内部は公開されていません。

目黒不動 瀧泉寺
808年(大同3年)に円仁が創建。徳川家光の庇護を受けて50棟余におよぶ伽藍が復興し「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めました。落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参拝者の急速茶屋が舞台とされます。江戸中期の伽藍が多く現存しています。ご本尊の不動明王像像は、円仁が自ら掘 り上げたといいます。秘仏であり、不動 堂内部は公開されていません。12年に一 度御開帳されるとか…。
水かけ不動明王
合掌礼拝して自分の悪いところと同じところにお不動様にお水をかけると治るといわれています。
青木昆陽の墓
サツマイモの栽培を普及させた人物として知られています。墓は簡素な墓石に「甘藷先生墓」と刻まれたもので、昆陽が生前に立てさせたものといいます。

次のコースA-5-02江戸六地蔵を1日で弾丸巡りを見る

CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start JR総武線平井駅南口→→JR総武線平井駅南口→→日比谷線三ノ輪駅3→→日比谷線三ノ輪駅3→→南北線本駒込駅2 →→南北線本駒込駅2→→副都心線雑司ヶ谷駅3→→副都心線雑司ヶ谷駅3→→田園都市線三軒茶屋駅北口A→→田園都市線三軒茶屋駅北口A→→東急目蒲線不動前駅→→End東急目蒲線不動前駅

ウォーキング距離と歩数

9km 13800歩