東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-4-02 江戸四宿 甲州街道 内藤新宿を歩く

1698年(元禄11)、甲州街道の宿場町として誕生したのが「内藤新宿」です。新宿とは、高井戸宿が遠いため追加で設けられた新しい宿場という意味。また信州高遠藩主の内藤家が幕府に返上した屋敷の一部に宿場町が造られたことが所以です。

宿場は四谷大木戸から追分(現伊勢丹付近)まで広がり、次第に旅籠屋や茶屋が増えて岡場所(色町)としても賑わいました。また玉川上水は四ツ谷大木戸から江戸各所へ生活用水を供給していました。このコースでは四谷付近から旧甲州街道を下り、四谷大木戸を経て追分までの内藤新宿を歩きます。

主な史跡抜粋

内藤新宿の復元模型(新宿歴史博物館 有料)
内藤新宿の大きなジオラマ模型が展示されています。

西迎寺
1490年(延徳2年)の開山。大田道灌の菩提を弔うために創建されました。境内には露坐の阿弥陀如来像があります。

西念寺 服部半蔵の墓所
1594年(文禄3年)服部正成(半蔵)が開基した寺で、服部氏の菩提寺です。伊賀衆の組頭で、代々「半蔵」を名乗りました。伊賀忍者だったのは初代の服部半蔵だけといいます。

戒行寺 長谷川平蔵供養塔
鬼平犯科帳の主人公、火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵の供養碑です。1795年(寛政7年)退き、直後に50歳で亡くなりました。

勝興寺 首切り役人 山田浅右衛門の墓所
御様御用は刀剣の試し斬りを行う役職で、罪人の死刑執行人を兼ねていました。山田家の当主は代々、山田浅右衛門を名乗り「首切り浅右衛門」と呼ばれていたそうです。6代目は吉田松陰、橋本左内ら安政の大獄の犠牲者の処刑を行いました。

須賀神社
アニメ映画「君の名は」でラストシーンでは須賀神社男坂の階段が描かれ聖地となっています。

東福院
1611年(慶長16年)に開山、1634年(寛永 11年)に現在地に移転しました。境内には豆腐地蔵と呼ばれる左手首から先が欠けた地蔵菩薩像があります。

於岩稲荷陽運寺
昭和初期に創建。田宮神社が移転したとき地元の名物が無くなって困った地元の有志が創建したといいます。境内にはお岩様ゆかりの井戸があります。
お岩稲荷田宮神社
創建年代は不明。四谷怪談が広く知られ、お岩信仰が盛んになったといいます。明治に火災で移転したが、昭和27年再建されました。

玉川上水余水吐跡
四谷大木戸におかれた水番屋は、多摩川から引かれた水を江戸市中に運ぶ玉川上水終着点。大木戸からは万年石樋と呼ばれる石でできた樋の中を水が流れる暗渠となって江戸の町を流れていきました。

四谷大木戸跡
1616年(元和2年)、江戸への出入り口として大木戸が設けられました。門は夜になると木戸を閉めていましたが、1792年に大木戸は撤去されました。

新宿御苑の大木戸門
昭和2年に建てられたもので、戦災も免れ、当時の独特のデザイン性や歴史的価値が高く、皇室御料地であったことを覗わせる貴重な建物です。

太宗寺 江戸六地蔵
塩かけ地蔵
閻魔像 奪衣婆像
高遠藩内藤家墓所
切支丹灯篭
1668年(寛文8)に信州高遠藩主・内藤家から土地の寄進を受けて創建され、内藤家の菩提寺として繁栄しました。内藤新宿の中心的存在です。

正受院 奪衣婆象
1594年(文禄3年)の開山。境内には針塚、1942年(昭和17年)に太平洋戦争による金属供出のため失われ、奇跡的に戻った梵鐘などがあります。奪衣婆像は「綿のおばば」と呼ばれ、民衆の信仰を集めました。

成覚寺 飯盛女の投げ込み寺
子供合埋碑
1594年(文禄3年)の創建。岡場所として繁栄した内藤新宿の飯盛女たちの投げ込み寺でした。奉公途中に死んだ飯盛女は俵に詰められ投げ込まれたといい、葬られた人数は3000人余りとも伝われます。飯盛女たちの供養碑でです。「子供」というのは旅籠の主が飯盛女たちを子供と呼んだためです。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start丸の内線四谷駅2→→End副都心線新宿三丁目駅

ウォーキング距離と歩数

10km 15400歩