東京街歩きコース内容

東京街歩き 119散歩コース&マップの詳細内容

A-3-04 外堀を辿る-2  四谷見附から雉子橋門へ

天下普請による江戸城の整備により日比谷入江埋立と並行して外堀が開削され、内堀や江戸湾ともつながっていました。戦後の瓦礫処理のために埋め立てられ、水路としての外堀は消滅して外堀通りとなりました。

見附は江戸城に置かれた見張り番所で、外堀に架けられた橋と一体的に設置されました。江戸城には36の見附があったといわれ、現在も赤坂見附など地名として残っています。江戸城の外堀の門は明治時代に全て撤去されています。このコースでは「の」の字を描く外堀の書き順から逆に四谷見附から雉橋門までの半周をひたすら歩きます。

溜池発祥の碑、江戸城外堀跡地下展示室、虎ノ門記念碑は、ブログ「霞ヶ関のぶらり歴史散歩」の実際の街歩きレポートに収録されていますので、是非参照してください。リンクをクリックすると別ウインドーで開きます。

主な史跡抜粋

四谷見附 真田堀跡
真田藩が築いた真田掘は戦災の瓦礫で埋め立てられ、上智大学に永久貸与されて運動場となっています。

喰違見附
清水坂から紀州家中屋敷に行く喰違土手の前にあることからの命名。石垣ではなく土塁を築く形で城門は存在しませんでした。碑があります。
尾張名古屋藩屋敷跡
上智大学一帯は徳川御三家のひとつ尾張徳川家の中屋敷でした。幕末隠居の住まいなどとして使用されました。

紀尾井坂
南側に紀州徳川家、北側には尾張徳川家と彦根藩井伊家の三家があったところから紀尾井と呼ばれました。
近江彦根藩井伊家屋敷跡
ホテルニューオータニの一帯は彦根藩井伊家の中屋敷でした。今も残る庭園は400余年の歴史を誇る名園です。

紀伊国坂 (赤坂)
坂の西側に紀州藩上屋敷があったことから名付けられました。別名は赤坂で地名の由来になった坂です。
赤坂見附 赤坂御門の石垣と刻印
1636年(寛永13年)に福岡藩によって築かれたものです。両側には弁慶堀、溜池が水を湛えていました。明治時代の道路拡幅工事で解体、一部石垣が残っています。

日枝神社
明暦の大火により焼失したため、1659年(万治2年)将軍家綱が現在地に遷座しました。この地は江戸城から見て裏鬼門に位置。空襲でも社殿が焼失し再建されたものです。

溜池発祥の碑
溜池は江戸城の防備をかねて外堀兼用の上水道の水源として堰き止めた池で、不忍池に匹敵する江戸の名所でした。明治21年には完全に埋め立てられました。
江戸城外堀跡 溜池櫓台
この櫓台は1636年、因幡鳥取藩によって構築されたとあります。溜池一帯を見下ろす位置にありました。石垣の一部が現存しています。

江戸城外堀跡地下展示室
佐賀藩によって作られた外堀石垣が復元され、展示されています。石垣表面には矢穴や大名家の刻印が見られます。

虎ノ門記念碑
佐賀藩によって築かれた虎ノ門があった場所です。明治初期に撤去されましたが地名として残りました。

山下橋門
山下橋門は高松藩が担当、江戸城の門の中では最も小さい門だったそうです。JRガード下に案内板のみあります。

中央区立泰明小学校
北村透谷・島崎藤村記念碑
泰明小学校は、近代ロマン主義の開拓者北村透谷と、自然主義文学の文豪島崎藤村が幼き日に学んだ学校です。入口には石碑があります。校舎は1929年(昭和4)の赤レンガ造りで、空襲にも耐えました。

数寄屋橋門
1629年(寛永6年)に仙台藩伊達正宗によって造られました。 有楽町マリオン前の交差点中洲の壁面に説明板があります。

南町奉行所跡と穴蔵
名奉行と言われた大岡越前守忠相が手腕 をふるった場所です。発掘調査で下水溝や井戸などが出土し穴蔵(地下室)が復元展示されています。

鍛冶橋門
外堀通りはかつて江戸城の外濠だった場所です。鍛冶橋門は1629年(寛永6)に秋月藩によってつくられました。現在は鍛冶橋交差点に説明版が残るのみです。

常盤橋門
1629年(寛永6年)に築かれました。古くは浅草口・大手口とも呼ばれ奥州街道に通じる要衝でした。現存する石垣はこの枡形門の石垣の一部です。

江戸城外堀の石垣
荷揚げ場跡
江戸城の築城資材は海運が主体で、この場所が荷上げ、集積場でした。鎌倉橋の大手町川端緑道脇には荷揚げ場が当時の石垣とともに残っています。

神田橋門
徳川家将軍が上野寛永寺や日光東照宮へ出向く際に神田橋門から筋違橋門を通る御成道だったので警備は厳重だったそうです。石垣が残っています。

一ツ橋門
一橋徳川屋敷跡
一ツ橋がかかる日本橋川護岸に外堀の石垣が残されています。一ツ橋を渡った先に枡形櫓台の石垣が現存しています。神田橋から一ツ橋までの日本橋川の対岸は、徳川御三卿の一橋徳川家の屋敷がありました。丸紅本社前に屋敷跡の碑があ ります。

雉子橋門
日本橋川の最上流にある雉子橋門は、内堀と外堀が最も接近する場所にあたります。橋に説明板があります。

江戸城築城の碑
太田道灌の追慕碑です。1457年(長録元年)太田氏はわずか1年で江戸城を築城したといわれています。

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CATEGORIES

A:江戸と呼ばれた東京

コース経路

Start JR四谷駅麹町口→→End東西線竹橋駅1b

ウォーキング距離と歩数

17km 26000歩